「プライバシー権」と「表現の自由」

「宴のあと」という作品をご存知でしょうか。

かの有名な、三島由紀夫によって書かれた長編小説です。

その芸術的価値の高さにおいて、国内よりも先に海外で評価されたともいわれています。

肝心の日本国内では、別の意味で話題になっていました。

この作品は、日本初のプライバシー裁判を引き起こすきっかけとなったのです。

「プライバシーの侵害」という言葉が流行語になるほど、当時は大きく取り上げられたようです。

裁判に至った経緯を、ざっくりと説明します。

この作品は、有田八郎という実在の人物をモデルにして書かれました。

モデルとなった有田八郎は、この作品の公開によってプライバシーが侵害されたと主張したのです。

しかし憲法では「表現の自由」が保障されているため、当然ながら三島由紀夫もこれに反論します。

誤解をおそれずにいえば、この裁判では「プライバシー権」と「表現の自由」、二つの権利をめぐって争われたのです。

果たして、モデルになった人物(有田八郎)の「プライバシー権」は認められたのでしょうか。

もしくは、書き手側(三島由紀夫)の「表現の自由」が保障されたのでしょうか。

裁判の結果、三島由紀夫に対して損害賠償の支払いを命じる判決が下されました。

つまり、有田八郎の「プライバシー権」が認められたのです。

もちろんこれは複数の争点をもって判断された結果です。

一概にプライバシー権のみが保障されることを証明したとは言えません。

書き手として気にかかるのは、「表現の自由」との兼ね合いですね。

この点について、判例に基づいて考えてみましょう。

当時の判決文では、次のように言及されています。

“言論、表現等の自由の保障とプライバシーの保障とは一般的にはいずれかが優先するという性質のものではなく、言論、表現等は他の法益すなわち名誉、信用などを侵害しないかぎりでその自由が保障されているものである。”(参考:「宴のあと」事件 第一審判決 損害賠償請求事件(1964年9月28日)判決

これによると、「プライバシー権」と「表現の自由」は本来対立して争うべきものではないとのこと。

ただし言論や表現を行う際には、ほかの人のプライバシーを侵害してはならないということですね。

概要は理解できるにしても、書き手としてはどのような心持ちで執筆すれば良いのでしょうか。

判断に迷うポイントは、「名誉、信用などを侵害しないかぎりで」という文言の内容です。

この部分に関して、判例では3つの要件が示されています。

● 私生活上の事実、または私生活上の事実らしく受けとられるおそれのある事柄であること。

● 一般人の感受性を基準にして当該私人の立場に立った場合、公開を欲しないであろうと認められる事柄であること。

● 一般の人々に未だ知られていない事柄であり、公開されたことによって当該私人が実際に不快・不安の念を覚えたこと

現在、これらの要件は、プライバシー権侵害の成立基準となっています。

行政書士試験をはじめとする、法律に関する資格試験の出題範囲としても扱われています。

情報のやりとりが活発な現在でも十分通じる内容のため、人権やプライバシーの保護について学ぶには最適なのでしょう。

しかしながら、たしかに法律に関する知識は大切ですが、この判例から学ぶことができるのはそれだけではありません。

間接的には、書き手としての在り方を提起している判例でもあります。

あなたが誰かをモデルにして書いた小説が、これらの要件をすべて満たしていたとします。

その場合は、モデルにした人のプライバシー権を侵害している、ということになるのです。

当然ながら、書き手としてそうはならないように気をつけるべきですね。

これは小説家だけでなく、すべての物書きが参考にすべき基準です。

他人を題材にして文章を書くときには、プライバシー権を侵害しないよう、上記の要件を念頭において執筆しましょう。

ちなみに、最終的には無修正で出版されました。

興味がある人は、そこに至った経緯についても調べてみてはいかがでしょうか。

内容としてみる文学的価値はもちろんのこと、出版までのプロセスを含めて、文学史に名を残す作品のひとつです。

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