【背負うべき罪】暗い物語を書くとき【決めるべき覚悟】
小説には、どういうわけか「暗い物語」が多い。
とくに純文学作品に見られる傾向といえます。
エンタメ作品であってもそれが悲劇の類であれば、読後感が不穏なものになることも珍しくはありません。
今回は「暗い物語」を書く場合について、書き手が背負う罪やその覚悟について考えていきます。
ネガティブなものに対する共感
書き手がネガティブなもの描くとき、それが明確にわかるように書くでしょうし、その先には読み手の共感を求めるはずです。
つまり暗い物語を書くとしたら、多かれ少なかれ、ネガティブなものに対する共感を発生させるわけです。
これが成立すると、読み手に大きな不安を植えつけることになります。
「あなたは社会からはみだしてるんだよ」
「実のところ可哀想な立場にいるんだよ」
「これはものすごく不幸なことなんだよ」
きっと読み手は、少なくともその物語を読むまでは、無自覚だったはずです。
書き手は、大げさにいえば、読み手の人生をひっくりかえすような不安を与えることになるのです。
人間は「負の感情」にコストをかける
そうなると、あるで小説の書き手がとんでもない悪者であるかのように感じられます。
実際これは書き手が背負う罪のひとつであることは間違いないでしょうし、場合によっては読み手から恨みを買うこともあるでしょう。
しかし一方で、人間が「負の感情」にコストをかけることも事実です。
私たちが遊園地に行くとき、そのための時間やお金を確保しますが、楽しい気分だけを味わうわけではありません。
ジェットコースターに乗ったり、お化け屋敷に入ったりと、緊張や恐怖を求めます。
もちろんそれは緩和や開放がセットになるからこそ成立するのですが、その抑揚はほかの動物には見られないものです。
「負の感情」にはいくつか種類がありますが、小説はその一端を担っているとも考えられます。
すべての作品に当てはまることではないにしろ、暗い物語には、読み手の求める相応の魅力があるはずです。
覚悟を決めて、罪を背負う
単純におもしろいストーリーに触れたいのであれば、映像作品のほうがてっとり早いはずです。
いろいろな気分を手軽に味わいたいなら、音楽が適しているといえます。
活字が連続する小説に目を凝らし、想像力をふくらませるのはエネルギーが求められます。
何時間も本とにらめっこするとなれば時間が要りますし、そのぶんの体力も必要です。
しかし読み手はそれをわかった上で小説を買い、描かれているものに目を凝らします。
書き手としては、そこにある面倒事に見合った価値を提供できるよう努力しなければなりません。
たとえそれによって読み手の人生に大きな不安を植えつけることになったとしても、求められた以上は覚悟を決めて罪を背負っていきましょう。
■ 参考
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