「作者=主人公」に注意

2020年12月20日

 

主人公を「自分の分身」として扱ってはいないでしょうか。

一人称視点の作品では、とくに「作者=主人公」として描かれやすい土台がそろっています。

 

誤解を防ぐために断っておきますが、小説の在り方は多種多様であるべきです。

「作者の分身が主人公として描かれている作品を書いてはいけない」などと、主張するつもりはありません。

わかりやすい例として、私小説では「作者=主人公」として見なされます。

私小説には私小説の魅力があるのは事実で、このようなアプローチで書くことを否定しているわけではありません。

 

 

しかし「作者=主人公」として描かれた作品は、完全な一方通行な作品になってしまう恐れがあります。

書き手と主人公の距離が「ゼロ」になっているということは、見方によっては「作者のためのお話」でしかありません。

読み手は、そのような作品に対してどう向き合えばいいのか、わからなくなってしまいます。

 

内容に描かれている物事が、読み手の共感を得ることはあるでしょう。

読んだ人の人生を変えるような、大きな感銘を与えることだってあるかもしれません。

ただし、自分の考えや経験を並べたところで、読み手の心をつかむ作品になる保証はどこにもないのです。

 

だからこそ書き手は、可能性を広げるべくさまざまな工夫を凝らします。

作品に幅や奥行きをもたせたり、不確定な要素を取り除いたり、頭を悩ませながら執筆するのです。

書き手と主人公との距離が近い小説は、その工夫を凝らす余地が極端に少ないのが問題ですね。

 

作者である書き手本人が主人公として描かれているのですから、内容には偏りが生じるでしょう。

趣味、嗜好、経験、思想など、書き手の内面以上のものが出てこないのです。

 

 

それを防ぐためにも、主人公を含め、登場人物を俯瞰するということが重要です。

 

たとえ「作者=主人公」であったとしても、書き手本人が冷静さを欠いてはいけません。

つまり、一歩だけ身を引いて、彼らの様子を観察することが解決の糸口になるのです。

 

 

書きやすいものだけに取り組む姿勢は、あまりよろしくないと考えたほうが無難です。

いわゆる「ネタ切れ」にもなりやすく、これからの創作活動に支障をきたす可能性があります。

書き手としての在り方を忘れずに、登場人物と向き合いましょう。

 

創作

Posted by 赤鬼