【創作】作品として成立させるだけでは足りない【残るもの】【与える変化】
「書くこと」はとても大変な作業です。
まして「小説」を書くとなれば、もっと苦しい作業になるでしょう。
物語の構成や登場人物の設定など、書き手はたくさんのことを考えながら正確に文章を紡いでいかなければなりません。
それらをまとめて「作品として成立させる」のは、決してかんたんなことではないのです。
ただしこれは、あくまで「前提」として考えるべき部分であり、作業として取り組むべきことです。
作品を仕上げるにあたっての、最終目標であってはなりません。
物語が着地しているからといって、それが「良い作品」になるわけではないからです。
解決するには、「物語の作り方」とは少し違った筋肉を使って執筆することになります。
「読み手に残るもの」が必要
登場人物が動き、話が展開し、整合性を保ったまま着地すれば、一応は物語として成立します。
しかしその物語が終わったあと、読み手になにも残らなかったとしましょう。
どれだけ巧くまとめられていたとしても、「読まなくてもよかった」となってもおかしくないですね。
だからこそ小説には、読み手に残るものが必要なのです。
世の中で評価されている”良い作品”には、読み手に残るものが含まれています。
「敏感な部位を触られた痒み」や「トゲが刺さった痛み」、「熟した果実の甘味」や「盛られた毒の苦味」など、作品によって多種多様です。
そこに好き・嫌いはあるにしても、なにかが読み手に残っている以上、「読まなくてもよかった」と思われることはありません。
したがって書き手は、読み手になにが残るのかを考えて物語を紡いでいくことが重要です。
「読み手に与える変化」を見据える
読み手に残すものは、「読み手に与える変化」と重なる部分があります。
たとえば前項に挙げた「敏感な部位を触られた痒み」で考えましょう。
この時点で、もうすでに広い意味での「変化」を与えたといえます。
ただしその痒みから読み手が感じるのは、快感でしょうか。
それとも単なる不快感なのでしょうか。
読み手に「痒み」を残した時点では、まだ決まっていません。
書き手は、読み手にどのような変化を与えるかを見据えましょう。
書き手の意図をもつ
読み手の感性におもねる以上、そのすべてをコントロールすることはできません。
しかし物語のなかで起こす「変化」に、書き手の意図をもつことは大切です。
読み手に残した痒みを快感として描くか、不快感として描くか。
はたまた、どちらともとれるよう含みをもたせて描くか。
書き手が意図をもって書くことで、その内容に「意味」が生まれ、物語全体を支えます。
読み手がそこに同調すれば、その物語はもはや”他人事”でなくなります。
物事が今までとは違って見えたり、具体的な行動が誘発されたりなど、変化も大きくなるのです。
この振り幅が大きくなるほど、”良い作品”へと近づくわけですね。
くり返しになりますが、「作品として成立させる」のはあくまで前提として努力すべき部分です。
せっかく書いた作品が「なにもない」「残らない」「変わらない」とされてしまうのは、非常に残念なことです。
読み手になにかを残し、それが大きな変化につながるよう、意識しながら書きましょう。
■ 参考
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