【創作】物語を「実験」として捉える【物語は疑似体験】
小説の世界では、あらゆる局面を疑似的に体験することができます。
知らない知識に出会うこともあれば、今まで至ったことのない思考に触れられることもあります。
その疑似体験から生まれたものは、心に訴えかける力をもっています。
これは読み手だけでなく、書き手も同様です。
実生活に代行するようなかたちで、小説からなにかを得ることができるのです。
局所的に起こる「化学反応」は、書き手にとってもエキセントリックな体験です。
物語は変化する
物語は、書き手が思い描いたとおりに進むとは限りません。
変化するなかで、書き手がなにかを学んだり、なにかに気付いたりすることがあります。
この変化を踏まえながら物語を書き進めていくことで、物語が書き手を超えます。
書いている本人にとってもそこは「想像の世界」となり、一定の整合性をもった仮想現実を疑似体験することになるのです。
小説は「実験」である
そうなると書き手は物語が進む方向を手探りで見つけ出さなければなりません。
いいかえれば、仮想現実で「実験する心持ち」になって書き進めることになるのです。
たとえば失恋した主人公が、友達に恋愛相談をする場面があったとしましょう。
会話の流れで、友達から「気晴らしに旅行でもいこうよ」というセリフが出てきたとします。
書き手がこのセリフを正面から受けとめたとすれば、新たに「友達と旅行にいく場面」を加えるはずです。
書き手に「傷心して慰安旅行にいった経験」がなければ、未体験の領域に踏み込むことになります。
小説では、このような局面が多々あります。
かんたんにいえば「小説を書くこと」は「実験をすること」と同じです。
人間の動き方や心の機微をどのように再現して、そこから何がもたらされるか。
物語の進行とともに、書き手は実験の結果を探っていきます。
これは「実験的なアプローチから書かれた小説」に限った話でなく、「創作」として書かれたすべての小説にいえることです。
「想像」から「創造」へ
実生活では、あらゆることに着手することはかんたんではありません。
前項にあった「旅行」でいえば、お金や時間を要することですから、すばやく行動できる状態になければ実践することは難しいでしょう。
しかし小説の世界であれば、場所を問わず思考することができるのです。
この段階では「想像」でしかなかったことを、「創造」に変えていくのが書き手の仕事です。
想像が創造に変わったとき、そこには架空の世界が生まれます。
いいかえれば、物事を疑似体験する土台が整います。
ディティールを描くための取材は必要としても、本質的な「学び」や「気づき」について考えるときには場所に縛られません。
これら「発見したもの」を物語として一定以上のクオリティにまとめることができれば、実験に成功したといえるでしょう。
自分が創り出した「架空の世界」を尊重することで、色濃い疑似体験が可能になります。
そこで描かれたものは、きっと読み手にも伝わるでしょう。
■ 参考
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