登場人物の会話を「作者の発言」にしない
小説に描かれる会話文は、「登場人物の発言」です。
当然ですが、「作者の発言」ではありませんね。
したがって、会話文を「作者の思いを伝える手段」としてとらえるのは間違いといえます。
これを無視して強引に書き進めると、違和感のある会話文になってしまうことがあります。
例を見てみましょう。
例
「君のやり方は間違ってるよ。『少年を暴力と厳しさによって教え込もうとするな。
彼の興味を利用して指導せよ。そうすれば自分の能力がどこに向いているか、少年自身で見出しやすくなる』
とプラトンも言っているし、根気強く付き合ったほうがいいと思う」
作者は、プラトンの格言を引用したかったのでしょう。
それを登場人物に言わせたようですが、会話の描き方としては不自然ですね。
内容よりも「書き手が会話を利用した事実」が伝わってくるため、押し付けがましさすら覚えます。
この場合、どうしても引用したければ説明文とあわせて使えばいいのであって、会話文を利用すべきではありません。
例
「厳しく教えたとしても反発があるだろうから、相手の関心を刺激するように導くべきじゃないかな」
言いおえた直後、自分がプラトンの格言を引用していることに気がついた。
『少年を暴力と厳しさによって教え込もうとするな。 彼の興味を利用して指導せよ。そうすれば自分の能力がどこに向いているか、少年自身で見出しやすくなる』
もちろんこれはあくまで「一例」であって、正解と断定はできません。
ただし、会話文を都合よく利用していないことは確かです。
前後の例を見比べながら、双方の会話文の内容に注目しましょう。
自己顕示欲を示した原文に対して、登場人物の生の声を描こうとした改善文。
どちらが自然な会話文かは、比べるまでもありませんね。
書き手は、登場人物をあやつり人形にしてはならないのです。
多くの読み手はその「たくらみ」を察するでしょうし、それに気づいた瞬間に興ざめしてしまうことだってあるはずです。
書き手として、会話文は「生きた人間の発言」を目指して描きましょう。
■ 参考
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