【文章を書く】書き手になった自分に誇りをもつ【モチベーション】

 

文章を書くときの心境には、2つのパターンがあります。

「書きたい」と思って書くか、「書かなければならない」と思って書くか。

この違いは、書き手のモチベーションに強い影響を及ぼします。

とくに後者の場合は、「書きたくない」と思ってしまうこともあるでしょう。

 

上位の概念をもってこれを捉えると、前向きに文章を書くことができるはずです。

両者の違いを理解しながら、書き手としての在り方を再認識していきましょう。

 

 

 

「書きたい」と思って書く文章

これは書き手が自発的に書く文章です。

「日記」や「小説」がわかりやすいでしょう。

もっと身近なところでいえば、SNS投稿もそうですね。

また、公開された投稿に対して書き込む「コメント」もこれに当てはまります。

 

まったく文章を書かない人からすれば、どれも不要なものです。

だからこそ「文章を書きたい」と思う気持ちそのものが重要なのです。

そう思った瞬間、書き手になれます。

 

 

「書かなければならない」と思って書く文章

これは、必要に迫られて書く文章です。

状況によっては、強制や強要に近い場合もあります。

 

● 学校での「作文」「感想文」

● 入学・入社試験での「小論文」「履歴書」

● 大学での「レポート」「卒業論文」

● 会社での「メール」「報告書」

● 町内会での「会報」「お知らせ」

 

書かなければならない文章は、さまざまです。

自発的に書くわけではないため、モチベーションが上がらない場合もあるでしょう。

しかし書くことを求められている以上は、書き手として振るまうことになります。

 

 

筆をとったことに誇りを持とう!

「書きたい」と思って書くとき、書き手は自分の内側を表現しようとしています。

自分というフィルターを通して、文章化することで、なにかを残したり、誰かに伝えたりするわけです。

その多くは、やらなくても困らないことだったり、他人にとってはどうでもいいことだったりもします。

しかし、結果や評価は別にして、書く行為そのものが素敵なことであり、書き手はここに対して感動すべきです。

 

実は「書かなければならない」と思って書く場合も同様です。

半ば書くことを押し付けられたものであったとしても、いざ文章と向き合うときにはいろいろと考えるはずです。

 

「こっちの言葉のほうが合ってるかな」

「ここで点を打ったほうがわかりやすいかな」

「このあたりで改行しておいたほうがいいかな」

 

ここで行われているのは立派な「推敲」であって、書き手の仕事のひとつですね。

いいかえれば、このときのあなたは「読み手のことを考えている」のです。

自分の文章に向き合うことによって、その瞬間書き手になることができるのです。

 

「書きたい」と思うときも、「書かなければならない」と思うときも、文章を書くことに変わりはありません。

経緯はどうであれ、筆をとった自分に誇りを持ちましょう。

 

■ 参考

Posted by 赤鬼