物語から「発見」を得る【気付きや学び】【良い作品にするために】
ときに書き手は、自分の物語から学んだり、気付いたりすることがあります。
ここではおしなべて「発見」と呼ぶことにしましょう。
書き手自身が物語から発見を得られたのであれば、その小説は”良い作品”になります。
このことについて、具体的に考えていきましょう。
「予想外」が訪れる
書き手の描いた青写真どおりに、物語が進むとは限りません。
書き手自身が予定を変更することはもちろん、登場人物が物語を動かすこともあります。
とくに後者の場合、書き手本人であっても予期できなかった動き方をします。
このとき訪れた「予想外」が重要なポイントです。
書き手自身が”発見”する
あくまでも予想外の事態ですから、書き手にとってはハプニングの一種です。
しかし、だからこそおもしろいのです。
物語が思いがけない展開になったり、登場人物から意外なセリフがでてきたり。
書き手が学びや気付きを得られるとしたら、この「予想外」からです。
小説の運動性が高まったとき、文字として書かれた内容は書き手自身を超えます。
そこから発見したものによって、物語の深みが増します。
読み手にも確かな質量をもって伝わっていくでしょう。
書き手が”発見”に備える
ときには、書き終えるまで発見を得られないこともあります。
書き手の予想どおりに物語が進み、そのまま着地した作品ですね。
作品の出来栄えやその良し悪しは別として、書き手自身は心を打たれることなく執筆を終えるのは間違いありません。
つまり「書く前」と「書いた後」を比べたとき、書き手はなにも得られなかったことになるのです。
誤解を恐れずにいえば、「書く前」にもっていたものを可視化しただけの作品を書く意味はありません。
その内容が価値あるものと確信できるのであればまだしも、多くの場合で「私事」が読み手の興味を引くことは期待できないのです。
書き手自身が発見に出会うことができれば、作品をブラッシュアップできるだけでなく、読み手に変化をもたらす種になります。
いいかえれば「発見できるかどうか」が良い作品を書くためのバロメーターになるのです。
したがって書き手は、物語から与えられる発見に備えるべきです。
ここまでご紹介したとおり、「書き手自身が発見したこと」は物語をさらに良くする要素となります。
「予想外の動き」を受け止め、物語のなかで大事に扱っていきましょう。
■ 参考
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません