描写文は読み手に実感をもたらす
小説において、「描写」は、もっとも奥が深い要素です。
描写の役割を一言で表すとすれば、実感をもたらすこと。
これに尽きます。
この「実感」は、説明文や会話文では成し得ないものであり、描写の専売特許といっても過言ではありません。
たとえば、「テーブルに置かれたコップの温度」を描写するとしましょう。
素手では触れないくらいに熱くなっている場合もあれば、触った瞬間に指や手がくっ付いてしまうくらい冷えている場合だってあります。
それをどのように表現するか。
読み手にその様子が伝わるような描写にするべく、書き手は頭を悩ませるわけですね。
書き手が描写を実現できたとき、または読み手がそれを実感できたとき、双方ともに小説特有のカタルシスを得られるのです。
描写は、小説の醍醐味を担う大きな要素なのです。
ただし、「実感をもたらす」という字面を見るとかんたんそうに思えますが、いざ書くとなるとなかなか難しいのが現実です。
実感をもたらす描写をするためには、テクニックうんぬんではまかなえない部分が出てきます。
前提として、書き手がどのような姿勢で臨むかが重要になるのです。
かんたんにいえば、書き手が日々「実感」を追い求めなければなりません。
太陽の光、風、草木、土、足もとの泥水、外壁の剥がれ、玄関のホコリ、擦れる靴、軋む床……。
日常にあるさまざまな物事を、どれだけ実感できるかにかかっています。
自分の中にないものを生み出すとなると、よほどセンスがない限りは失敗に終わるでしょう。
味わったことのない感覚を描写で伝えるのは、とても難しいことです。
日々の暮らしの中でアンテナを張り、些細なことを見逃さないよう気をつけることで、描写力はグッと伸びます。
その積み重ねは、必ず、執筆活動に活かされるでしょう。
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