読み手にとって「会話文」とは
会話文を書くときの大前提について考えます。
まず、あらためて確認しておくべきなのは、読み手がいてこそ小説が成り立つということ。
つまり、会話文を書くときには、それが読み手に何をもたらすのかを考えなければなりません。
もちろん会話文の効能はさまざまですが、あえて一言でまとめましょう。
会話文とは、「小説の世界と現実をつなぐもの」です。
なぜこのように表現するかについて、以下で解説します。
ポイントとなるのは、「登場人物の人となり」です。
登場人物がどのような性格であるかは、説明文や描写文では判断しきれません。
会話文からその片鱗を読み取る、というわけですね。
実生活におきかえるとわかりやすいです。
あまりいいウワサを聞かないような人物でも、いざ話してみるとまったく印象が違うことがあるでしょう。
(その真偽はまた別ですが……)
コミュケーションにおいて、「会って話をしてみないとわからないことがある」のは明らかです。
人となりを判断する上で、こうした過程が重要であることは間違いありません。
小説において、そのコミュニケーションを再現できるのが会話文というわけです。
また、物事の伝え方は人によって異なります。
「出ていけー!」
「申し訳ないけど、出ていってほしい」
「もうあなたとは一緒にいられない」
同じ内容を伝えるにしても、どのような言葉を選んで、どのような口調で相手の耳に入れるかは人それぞれですね。
設定したキャラクターを読み手に理解させる上で、もっともわかりやすく伝えられるのは会話文です。
会話のやりとりの様子から、登場人物の性格はもちろん、その場の雰囲気や登場人物同士の距離感も定まってくるのです。
このように、コミュニケーションの様子が露呈する会話文を通じて、読み手は小説の世界に接することができます。
その会話を観測する読み手がいるということは、「登場人物同士+読み手」といった複合的なコミュニケーションをとる機会でもありますね。
架空の人物であっても、イキイキとした描き方をすること。
これは書き手の仕事です。
読み手にどのように作用するかを考えながら、登場人物の人となりがわかるような会話文を書きましょう。
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