創作の独創性とは

小説を書いている人は、作品の独創性にこだわります。

盗作や剽窃などに手を染めるような一部の不届きモノを除けば、書き手として自分のスタイルを大切にするのは自然なことですね。

では、独創性とはどこから生まれくるのでしょう。

また書き手は、これをどのように伸ばせば良いのでしょうか。

ひらめきやインスピレーションといった、突飛なアイディアはわかりやすい例ですね。

誰も描かなかった設定を思いつき、小説に反映させたのであれば、まさに独創的な作品になります。

しかし、その独創性を持続するとなると、難易度が高くなります。

「アイディアが浮かんでくるのを待ちながら執筆する」ことになり、生産性が極端に低くなります。

最悪の場合、手詰まりになってしまい、小説を書けなくなることだって考えられるのです。

身近なところでは、文体も独創性のひとつですね。

文体を書き手のスタイルと考えれば、オリジナリティそのものともいえます。

ただし「文体」とは、言葉づかいや仮名遣い、文章の組み立て方など、細かな部分を総合して判断したものです。

ある程度、作為的な変化を加えることはできるでしょう。

ただし、文体とは結果として生み出される概念であるため、執着して伸ばすようなものではありません。

このままではあまりにも抽象的すぎて、書き手は為す術がないと思ってしまいますね。

悲観しないでください。

独創性の本質は、また別のところにあります。

自分で感じて、自分で考えること。

これが、創作における独創性の本質です。

一枚の写真を思い浮かべましょう。

名前も知らない誰かが、どこかで撮影した写真です。

撮影者は、何かを感じ、何かを考えた末に、シャッターボタンを押したはずです。

なぜ、その写真を撮ろうと思ったのか。

なぜ、その場所を選んだのか。

なぜ、その位置から撮影したのか。

なぜ、そのモノにピントを合わせようとしたのか。

何を、伝えようとしたのか。

もしかすると、その撮影位置の真後ろにある景色のほうが100倍おもしろいかもしれないのに、その写真を撮ったのです。

特定の場所に目を向けたその姿勢こそが、独創性そのものではないでしょうか。

創作において重要なものは、作品の裏側にあることが多いのです。

与えられた物事の表面をすくったところで、同じ深みは生まれないのです。

これは、写真や小説だけでなく、創作物全般にいえることです。

「月が綺麗」と感じることに対して、決して何らかの刷り込みではないと言い切れるでしょうか。

クレーターの影が、シミや痣のように見える人がいたって、なんら不思議ではないのですから。

独創性に重きをおくのであれば、自分で感じたものを自分で考えることが必要なのです。

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