日本人が気付かない表現の多様性
表現の多様性は、日本語がもつ特徴のひとつです。
頭でわかっていても実感したことはない、そんな人が大多数でしょう。
今回は、その特徴が顕著に現れた例をご紹介します。
「吾輩は猫である」
言わずと知れた名作ですね。
小説を読む習慣がない人でも、一度は見聞きしたことがあるはずです。
英語圏では、このようなタイトルで紹介されています。
“I am a cat”
世界でもっとも話者が多いといわれる中国語圏では、このように表現します。
“我是猫”(簡体字)
先入観を抜きにして、これらを日本語に直訳してみます。
「私は猫です」
英語や中国語での表現、もしくは「私は猫です」というタイトルから、どのような印象を受けるでしょうか。
少なくとも、そこに深みや味わいを感じることはできませんね。
それに対して「吾輩は猫である」は、凛としたオス猫を私たちに想像させます。
良い意味で、小説を読ませる前に私たちの印象を操作しているのです。
与えられたその印象は、作品全体に影響を及ぼし、ストーリー引き立て、より魅力的に感じさせる要因となっているのです。
例を見てわかるとおり、これは他の言語が真似できない芸当です。
日本語は、その表現次第で、読み手に与える印象をガラッと変えることができます。
読み手となる多くの日本人は、このことに気づいていません。
書き手として、多様な表現を意識的に選択しながら、読み手の印象を操作できるようになりましょう。
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