「書かなければならない理由」を考える
「書く仕事に就きたい」と思っている方々に向けて、暗い話をします。
書く仕事は、数少ない自由な働き方のひとつです。
時間に縛られず、自分のペースで働けるこの仕事に、大きな期待を抱いている方も多いでしょう。
会社員に比べれば、執筆業や文筆業は働き手の自由度が高いといえるでしょう。
しかし実際は、時間に縛られないなんてことはありません。
日々の自己管理が出来ていなければ、「締め切り」に追われることは請け合いです。
連日徹夜で執筆していても、納期に間に合いそうにない。
そんな状況に陥ると、タイムカードによって半ば強制的に管理されているサラリーマンの生活がうらやましくなります。
締め切りを英語でいえば”Dead Line”ですから、そこを超えてしまうと書き手としての「死」が待っているわけですね。
(実際は少し待ってくれる場合もしばしばあるのですが……)
ただし、遊びで書くのではなく、仕事として書くのです。
社会人としての資質や信用問題に関わる部分なので、ないがしろにはできませんね。
時間だけでなく、場所についても考えなければなりません。
駆け出しの書き手であれば、ほとんどが自宅で仕事をしているはずです。
普段から篭りきりで仕事をしていると、気になるのは近所の目です。
別に悪いことをしているわけではなく、後ろめたいことはないはずなので、気にするべきところではないのかもしれません。
しかし、たとえ賃貸アパートでもよからぬ噂が立つときは立ちますし、ご近所との関係は良好であるに越したことはないですね。
私の場合、周囲の理解が得られにくい仕事だからこそ、よりいっそう体裁には気を使うようにしています。
そしてこれは、「早く書斎や事務所を借りられるようになろう」と思った原動力にもなりました。
最後に、収入です。
これは、どのような文章で勝負するかにもよりますね。
ただし、これはどのようなジャンルにも共通していえることですが……
ほとんどの場合で、あまり儲からないでしょう。
お金持ちになれるのは、一部の限られた人のみです。
やってみないことにはわかりませんが、優雅に暮らせるような富を得られる確率は低いとみて差し支えないでしょう。
競争が激しいブログの収益なんてたかが知れています。
昨今のライターの処遇も、あまり良いとは言えないでしょう。
文学賞をとって作家デビューしても、その後消えていく書き手が大半です。
いずれにしても、厳しい世界であることに変わりはありません。
一般論だけでなく、私の経験から得た具体的な話をしましょう。
私は、ウェブライターとして、物書きのキャリアをスタートさせました。
はじめにぶち当たった壁は、「0」を「1」にすることです。
文章をマネタイズすること、そのものですね。
利益ベースで考えたとき、つまり、あらゆるコストを差し引いて「1円の利益」を出すまで。
このたった1円の利益を出すことが大変でした。
それが100円になり、1000円になり、10000円になり……
気が遠くなるようなプロセスでしたが、さまざまな人に支えられ、現在もなんとか食いつないでいます。
具体的な金額は明かせませんが、謙遜ではなく「なんとか食いつないでいる」程度の収入だと考えてください。
書く仕事に期待を寄せていた方々にとっては、夢のない話かもしれませんね。
それを肝に銘じるべき、といったような、戒めが目的ではありません。
あえてこのような内容にしたのは、そうした状況でも「書かなければならない理由」を考えていただきたいからです。
書く仕事で生計を立てるのは、決してかんたんなことではありません。
仕事ですから、辛く苦しい状況は当たり前のようにあります。
そんなときに自分自身を支えてくれるのが、「書かなければならない理由」です。
表現することへの欲求がとめられないとか、誰かのために何かを伝えたいとか、なんだって良いのです。
大切なのは、信念としてしっかり自分に根付いていることです。
これをもってすれば、もしも苦境に立たされ、今後の執筆に迷いが生じたとしても、きっと超えられるでしょう。
そのときのために、「それでも書く理由」を一度考えてみてはいかがでしょうか。
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