なぜ小説で「物語」を書くのか
文章は情報を伝達するためのツールです。
私たちの社会では、たくさんの情報が文章によって伝えられています。
そのなかでも異質なのは、小説の存在です。
小説は「小さく説く」と書きます。
一体、なにを説くのでしょうか。
そもそも、それは「物語」でなければならないのでしょうか。
私は、物語として説く意味を、次のように考えています。
言葉にならないことを伝えるためです。
言葉にならないことを表現して伝える方法は、たくさんあります。
音楽なら「音階」や「音色」を、絵画なら「色彩」や「形象」を、複雑に組み合わせて表すことができます。
文章で表現するとなると、使える要素は文字しかありません。
「素直な言葉をそのまま書けばいい」と思われるかもしれませんが、そうはいきません。
抽象的なことを、類型化された言葉で表現してしまうと、伝えるべき内容の純度が低くなってしまうからです。
たとえば、ラブレターを書くとしましょう。
相手に対する気持ちを単なる情報として伝えるのであれば、たった一言、「好きです」と書けば十分です。
しかしそれでは、大切な想いを伝えることはできませんね。
惹かれるに至った具体的なエピソードに加え、今なにをどのように思っているか、これからの展望など、根拠となる内容を添えて書いたほうがきっと伝わるはずです。
言葉にならないような、感情や心境、微妙な心の揺れ。
これらを、抽象的な言葉で表すことはできません。
だからこそ、小説では物語を仕立てる必要があるのです。
情報をただ伝えることだけを目的にした文章なら、骨組みだけを表現したほうがわかりやすいでしょう。
しかし、言葉にならないことを伝えるのであれば、血や肉まで書かなければその真意が伝わりません。
物語で説かれる内容は、突きつめれば、一言で表現できることばかりでしょう。
愛だとか、友情だとか、空虚だとか、狂気だとか、単純な概念であるはずです。
それに膨大な文字数をかけるとなると、バカバカしく思ってしまうかもしれません。
しかし、単純な概念を淀みなく伝えるためには、その無駄な労力が必要です。
小説として物語を書く意味は、ここにあるのです。
私は、「小さく説く」をこのように考えています。
あなたの解釈とは違っているかもしれませんので、その場合はぜひ自分自身を信じてください。
なにせ、答えがないことです。
今回の内容は、ひとりの書き手の意見として、なにかの参考になればと思います。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません