「情報」と「文章力」の関係【別の次元で考える】
「文章を書くことができない」という人がいます。
その理由として、「文章力がないから」の意が見え隠れすることも少なくありません。
ありがちともいえる「文章力がないから書けない」という理由付けは、間違っています。
今回はこの状況について、「情報」と「文章力」とをからめながら考えていきましょう。
情報の不足
そもそも「文章」とは、情報伝達の手段でもあります。
読み手に伝えるべき情報に不備があるとなれば、文章自体が成立しません。
そのため、情報の不足は致命的といえるでしょう。
そもそも「書きたいこと」がなにもなければ、文章を書くことができないのは当然です。
「書きたい」という気持ちがあったとしても、すべて自分の内部から表現するとなれば行き詰まることは目に見えています。
他を圧倒する文章力をもっていたとしても、文章を成立させるために必要な情報をもっていなければ文章は書けないのです。
だからこそ書き手はインプットに注力して、読み手にとって価値のある情報を提供しようとするわけです。
別の次元で考えるべきこと
たとえば「音楽」をテーマにした本を書くとしましょう。
その本が小説なのか、実用書なのかは問いません。
文学性の有無に関わらず、音楽がテーマであるなら音楽について一定以上の「知識」や「経験」がなければ成立しないはずです。
音楽活動をしたことがあったり、音楽について専門的に学んだことがあったりなど、知識や経験があるからこそ有機的に書き進めることができるのです。
積み重なった知識や書き手自身の経験をふんだんに盛り込んだとき、その本には「価値」が生まれるでしょう。
もちろん不足している部分については、資料を集めたり、取材したりすることで補填できるはずです。
ここでいう「知識」や「経験」、あるいは「取材能力」は、「文章力」とは関係がありませんね。
これらは「書き方」の作法とは切り離されていて、書き手からすれば別の次元で考えるべきことです。
文章力はあとからついてくる
「素晴らしい文章を書ける人」よりも、「素晴らしい内容(情報)をもっている人」のほうが、出版に結びつきやすい傾向にあります。
理由としては、「文章力」はあとからついてくるからです。
もちろん書き手である以上は「文章力」というあいまいな概念に向き合うべきで、これを軽々に扱ってはなりません。
極端に考えれば、文章として読む価値のある「情報」を数多くもっていたとしても、それを表現するための「文章力」がなければ読み手には届かないのです。
書き手が見つけ次第手に入れられる「情報」に対して、潤沢な「文章力」を得るには日々の努力が必要です。
前項にあった「別の次元」とは、情報を優遇するための言葉ではありません。
文章力との違いを考えるにあたって、はっきりと区別する意味も含まれているのです。
ただし、入手の経路やそのスピード感は違っていても、いわゆる”良い文章”を書くには「情報」と「文章力」が同時にそろっていなければなりません。
区別して考えるとはいえ、文章のクオリティに密接な関わりをもっていることは言うまでもありませんね。
価値ある「情報」を不足させることなく、地道な積み重ねから「文章力」を得る。
書き手はこの両刀を強力な武器としながら、良い文章を目指していきましょう。
■ 参考
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