「誰でも書ける」にひそむ罠【書き手としての自覚】
現代の日本人に「読み書きができない人」はそうそういないでしょう。
義務教育を受けていれば文章を読むことができますし、紙とペンさえあれば誰にだって書くことができます。
誰でも実践できる表現方法だからこそ、書き手を目指す人からすれば希望がもてる面もありますね。
ただし、ここには大きな罠がひそんでいます。
以降の内容から確認していきましょう。
“それらしい文章”を書けてしまう
まずは例文を読んでみましょう。
例
① お客様のニーズに対応するこだわりのラインナップ
② 絶望の海のなか、たった独りで漂流するようだった
③ どうにか電車に間に合った僕は、ホッと胸をなでおろした
上記に挙げたのは、どれも一考の余地がある文章です。
①は過剰な修飾語とあいまいな被修飾語が連なっていて、文法的に不安定な様子が見受けられます。
②は文学的(小説的)な書き方に挑戦したものの、秀逸な比喩表現とは思えません。
③は後半にオノマトペや慣用句を活用していますが、手垢のついた表現です。
意識せずに読めば受け容れられるかもしれませんが、書き方としてベストであるとはいえないのです。
文章は誰にだって書くことができます。
だからこそ、上記のような”それらしい文章”を書くことができてしまうわけです。
実態に照らし合わせて考えると、本人からすればよく書けているつもりでも、文章にはミスや過不足が生じることになります。
恐ろしいことに、この「食い違い」は無自覚のまま発生します。
これこそが「罠」と呼ぶ所以であり、素人はもちろん、駆け出しの書き手が陥りやすい部分です。
書き手であれば、”それらしい文章”から脱却しなければなりません。
書き手である意味を考える
前項に書いたような内容は、書き手であれば身に覚えがあるはずです。
初心者だったころはとくに、似た文章を書いていたのではないでしょうか。
あるいは書きなれた人であっても「締め切りに追われている」などの特殊な状況では、ついつい手を出してしまうこともあるでしょう。
しかしあなたが”書き手”であるならば、「拙い書き方」はできる限り避けるべきです。
前項に挙げた例は、あくまで「誰でも書ける文章」です。
素人であっても表現できる内容しか書かないのであれば、当然ながら、書き手として文章と向き合う必要がなくなります。
「文法に詳しい」や「独自の視点をもっている」など、書き手である意味を考えながら素人との違いを作ることが重要です。
平凡なミスを減らしつつ、書き手だからこそ表現できる内容を追い求めましょう。
「書き手であること」を自覚する
「物書き」「作家」「ライター」など、書き手として活動している人の呼び方はさまざまです。
文章を書くために特別な免許は必要なく、資格試験もありません。
書き手としての在り方が多様化した現在では、なおさらプロと素人との差があいまいになっています。
明確な差があるとすれば、個人の意識ではないでしょうか。
書き手であることを自覚しているかどうかで、取り組み方が変わってくるはずです。
前々項に挙げた例文を読んだときはその良し悪しをチェックしたでしょうし、自ら書くとなれば”それらしい文章”にならないように注意するでしょう。
書き手としての自分を自覚することで、批評の目を養い、自分の執筆に還元することができます。
「あなただからこそ書ける文章」にするべく、高いところに意識をもって執筆しましょう。
■ 参考
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