【ブログ運営】「SEO対策」をしない主義【文章が濁る】
ブログをブラウザ検索の上位に導きたいのであれば、SEO対策は必須です。
しかし個人的には、ブログ運営をするにあたってSEO対策に注力したことはありません。
興味がないといったら大袈裟ですが、あまり気を配ることなくブログを書き続けています。
このスタイルに至るまでの経緯を踏まえながら、理由について述べます。
SEO対策で見据えるもの
まずは用語について説明しておきましょう。
「SEO」とは、”Search Engine Optimization”の略です。
日本語に訳せば「検索エンジン最適化」となります。
つまり「SEO対策」とは、ブラウザの検索結果においてWEBページを上位表示させるための取り組みを指します。
この取り組みを行うのは運営者ですから、そこには「検索結果の上位に表示させたい」という意図が含まれています。
もちろんブログだけでなく、企業のホームページやECサイトなどでもSEO対策は重要視されるわけですね。
踏みこんだことをいえば、SEO対策が施されたWEBページは商業的なアウトプットを見据えています。
商品やイベントを宣伝したかったり、自分のWEBページが窓口となることで広告料を期待していたりと、「実益を得るための取り組み」といいかえることができるでしょう。
WEBライティング時代に受けた制約
もう何年も前のことですが、いわゆる「WEBライター」として執筆していた時期があります。
アフィリエイトサイト向けの執筆には、さまざまな制約がありました。
文章構成や最低文字数の規定、文章やタイトルに組み込むキーワードやその使用回数など、いわば「SEO対策のためのWEBライティング」を構造的に仕込まれたわけですね。
素人だった私は、クライアントからの細かな指示に従いながら、パズルを組み立てるように文章を作っていました。
しかし書き手としての「執筆」に重きをおいたとき、SEO対策による制約は不自由でしかありませんでした。
かんたんにいえば、書きづらかったのです。
クライアントからすれば利益を出さなければならないのは当然で、その立場は理解できます。
ただし指示どおりに書いてしまうとどうにも不自然な文章になることが多く、「もっとわかりやすく書けるのにな」と思う瞬間は何度もありました。
当時の私からしても、SEO対策が執筆の障害になっていたのです。
Googleとの付き合い
SEO対策として有効な書き方は、たびたびその最適解が変わります。
たとえばWEBライターとして活動していた時代は「メタディスクリプションの書き方」が重視されていて、そこにより多くのキーワードを組み込むことが良しとされていました。
が、今ではGoogleの検索アルゴリズムが変化したことにより、メタディスクリプションの内容が検索結果に影響を及ぼさないことが通説となりました。
SEO対策を施すときの”ベターな書き方”が変わってしまったのです。
つまりSEO対策とは、Googleと巧く付き合っていくための知恵でしかないのです。
Googleを敵視しているわけではなく、なんなら個人的には末永く付き合っていきたいとすら思っています。
しかしこの知恵、つまりSEO対策がなされた文章は、自分が求める「文章の出来栄え」とは関係のないものと考えました。
本来、記事を読ませるべき相手はGoogleのアルゴリズムではなく、実際の文章に目を通してくれる読み手です。
緻密にSEO対策された文章が、読み手にとって「おもしろい」「わかりやすい」「読みやすい」とは限りません。
そもそも、自分が表現したい文章と一致するわけでもありません。
不規則に変化する情報に手間と時間をかけるのであれば、自分なりの「良い文章」を追求したほうが、きっと読み手のためになるはずです。
このように考えた私は、「SEO対策」に気を配らなくなりました。
執筆ノウハウと合致する場合がある
WEBライターとしての経験から学んだことは、現在のブログ運営に活かされている部分も大いにあります。
「SEO対策をしない主義」とはいえ、これを毛嫌いしているわけではありません。
というのも、一般的な執筆ノウハウと合致する場合があるのです。
たとえばアフィリエイトを指南する書籍では、ライティングスキルについて掲載しているページが必ずあります。
「読み手のニーズを把握する」「的確な言葉を使う」「見やすいサイト構成にする」
これらは文章の書き方として間違いではないはずです。
とくに最近のGoogle検索アルゴリズムでは、コンテンツに「ユーザーの利便性」を強く求めるようです。
要するに「読み手のため」を思って書かれたブログや、そのように作られたWEBサイトの評価が高くなるのです。
その判断基準のあいまいさは不気味ですが、”小手先の工夫”が通用しなくなるのは良い傾向ですね。
SEO対策のすべてを否定するのではなく、文章の書き方として確からしいものは積極的に受け入れるべきです。
書き手の意地
変化といえば、「ブログの読まれ方」も例外ではありません。
近年、「ブラウザ由来の読み手」の割合が減りつつあります。
インターネットにおける主要なプラットフォームが、SNSやYoutubeへと変化したことで、ブラウザでの検索から訪れる読み手がおしなべて少なくなったのです。
ブログのアクセスデータを解析していても、ここ数年でさらにその傾向が強くなったと感じています。
仮に収益を目的とするのなら、地道にSEO対策するよりも、SNSアカウントでの情報発信を充実させたほうが効果的に思えてきますね。
もちろん、ブログで扱うテーマや運営方針によっては「ブラウザ由来の読み手」が多い場合もあります。
当ブログ『文章の鬼』は、どちらかといえばその類のブログですね。
しかしそれでも私はSEO対策に注力する気にはなれません。
金に目がくらんで「文章が濁る」ことに耐えられないからです。
筆力の不足によって自分の文章がいびつになっているのなら、まだ手の施しようがあります。
「ブログ」という自由に書ける媒体で、「お金を儲けるための文章」を書き出したらきっと歯止めが利かないでしょう。
もちろん私はブログの運営者であり、ここで少なからず収益を得ていることは否定しません。
けれどもやはり、根底では書き手のままでいたいのです。
だからこそ今後もきっと、少なくともこの『文章の鬼』では、書き手の意地を貫くでしょう。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません