【書く仕事】書き手にならざるを得ない人【違和感のかたまり】

 

書き手になったとして、いつも楽しく幸せな気分でいられるわけではありません。

とくに「仕事」として、経済的な行為を通じて文章を書く場合は、相当な覚悟が必要です。

そこにいたるまでには、書き手にならざるを得ない状況になってから、仕方なくこの仕事を選ぶ状況も十分にあるのです。

個人的な経験も踏まえながら、書き手になった経緯やその心境についてご紹介します。

 

 

「仕方なくやっている」という感覚

書き手になるには、なにかしらのきっかけや理由があるはずです。

有名人であれば、編集者のほうから「書いてみませんか?」とすすめられて書きはじめることがあるようですね。

私が書き手になったときは、書くことを誰かに頼まれたわけでも、誰かに求められたわけでもありませんでした。

つまり私は、自ら望んで書き手になったわけです。

 

しかし今振り返ってみると、「書き手になりたい!」というような、はっきりとした思いはありませんでした。

どちらかといえば、流れ流れて最終的に行き着いたような気がしていて、そこには「仕方なくやっている」という感覚もあるのです。

「書き手になりたくて書き手になった自分」を否定するつもりはありませんが、「仕方なくやっている自分」もまたほぼ同等の規模感をもち、同時に存在しています。

活動を始めてから今まで、この感覚の差は埋まることなく、奇妙な均衡状態を保ち続けています。

 

 

違和感のかたまり

私は何度か転職を経験していますし、アルバイトも含めるとさまざまな職場に身をおいてきました。

けれども業種や職種、職場環境や給料に関わらず、どんな仕事に就いても違和感があったのです。

業務に不満はなく、職場にも馴染むことはできても、いつまでも溶けこんでいかない「かたまり」のようなものがありました。

結局、会社員として働いていた間は、これを拭うことができなかったのです。

 

不思議なことに、書く仕事を始めてからはその違和感が解消されました。

ぴったりマッチしている、と感じているわけではありませんし、自分の才能を信じているわけでもありません。

もちろん仕事である以上、多少なりともストレスは感じますし、辛く苦しいこともたくさんあります。

さらにいえば、自分が幸せであるかには確信がもてず、仕事に満足していると断言することも難しく、どちらかといえば思い悩むことのほうが多い。

しかし「書く仕事」であれば、違和感なく仕事に向き合うことができていることは間違いありません。

長年の悩みが解消された点については、本当によかったと思っています。

 

 

違和感の正体

会社員時代、自分が抱えている違和感の原因についてたびたび考えました。

当時は、自分のプライドや自己評価の高さ、あるいは社会に消費されることへの抵抗感からくるものだと思っていました。

そのたびに、おごり高ぶっている自分を制するように、なんとか矯正しようと試みていたのです。

 

しかし今になって、その違和感のかたまりが決してネガティブなものではなかったとわかります。

なぜなら、書くための原動力になっていると感じるからです。

違和感のかたまりの正体は、ひょっとすると「作家性」と呼ばれるものなのかもしれません。

さすがにおおげさすぎるとは思うのですが、とにかく汚されたり、壊されたりする状況に耐えられない、大事なものであったのはたしかです。

文章で表現できている今、そのかたまりが溶けだし、正常に循環しているのを実感しています。

 

 

「書き手にならざるを得ない」と確信する

書くことを仕事にしたいのであれば、「違和感のかたまり」を実感してからでも遅くはありません。

それは自意識のなかで、書き手にならざるを得ない」と自覚することにもつながります。

 

「なんかこの職場いやだなー」「自分のペースで稼ぎたいなー」「楽して稼ぎたいなー」程度であれば、少なくとも今の仕事は手放さないほうがいい。

それは自由度の高い仕事に対してぼんやりとした希望を見出しているだけで、たとえ書き手になっても別の道を模索したくなるでしょう。

そもそも、書き手になりたいのであれば、最初から専業にこだわる必要はありません。

実生活でさまざまな経験を積み、そこで得たものを執筆活動に活かせると考えれば、むしろ兼業のほうが有利です。

 

そのなかでどうしても違和感が拭えない人は、専業・兼業問わず、なにかしらのかたちで文章を書き続けることができるでしょう。

いわば、書き手にならざるを得ない人だといえます。

もちろん文章表現がなされる場は、そんな人たちを受け入れてくれます。

あせることなく、自分自身の内側としっかり向き合いましょう。