あえて隙間をつくる
時々、書きすぎた文章を目にすることがあります。
必死に伝えようとするあまり、書かない方がいいことまで内容に含めてしまうのです
そのような文章は、一方的な決めつけになりがちです。
そもそも、書きすぎた文章とはどういったものなのでしょうか。
書きすぎた例を見ながら、解決策を考えていきましょう。
キャメロン・ディアスは、有名なハリウッド女優ですね。
たしかにとても美しい女性ですが、「絶世の美女」とまで言い切って良いのでしょうか。
人によっては、他のハリウッドセレブが好みかもしれません。
日本人、ひいてはアジア人にしか興味がないことも十分に考えられます。
この文では、書き手と読み手が「キャメロン・ディアス=絶世の美女」を共有しているという前提にたっています。
もしも共有できていなかった場合、いかに「絶世の美女」であるかが伝わりません。
書きすぎたことによって、読み手の想像力をおさえこんでしまった典型例ですね。
このように、不確かな要素を書き手が限定してしまうと、伝えるべき内容が濁ってしまいます。
解決策は単純です。
書きすぎないように、文章に隙間を作ればいいのです。
人間には、足りない情報を想像や予想で補おうとする性質があります。
この性質を文章に利用すれば、主観によって変わる事柄にも対応できます。
改善文では、あえて限定しない書き方をしていますね。
これによって、読み手はそれぞれが思う「絶世の美女」を想像することができるのです。
伝えようとする書き手の気持ちは大切です。
しかし、それぞれの主観で感じ方が変わる物事に対しては、慎重になりましょう。
今回のような「異性の好み」に触れる内容であれば、なおさらですね。
考えなしに踏み込んでいくのではなく、ときには読み手の想像力にゆだねることも重要なのです。
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