「異性」を主人公や語り手にするときは慎重に
主人公や語り手の設定を考えたとき、異性にすると都合が良い場合があります。
しかし、安易に踏み込むのは非常に危険です。
たとえば、あなたが男性の書き手で、作中の主人公を女性にしたとします。
あなたは、「女性」という生き物が手に取るようにわかりますか?
女性的な人物像(優しさ、やわらかさ、可愛らしさなど)を描いたけれど、それは男性から見たときの理想でしかなかったり。
逆に、表には出さない部分(陰険さ、嫉妬深さ、がめつさなど)を描いたけれど、根拠に乏しく、単なるネガティブキャンペーンに終わったり。
※ あくまで仮定の話で、他意はありません。
もちろん、女性が男性を描くときにも同じような現象が起きます。
異性の描き方に失敗した小説は、ボタンをかけ違えたような気味の悪さや不自然さが生じます。
内外を含め、異性を主軸とした描くことはとても難しいのです。
どんな書き手でも、読み手の性別は選べません。
とくに、間違った人物像を描かれた異性からすれば、その勘違いをベースに進む物語を愛読できるでしょうか。
これは一人称小説だけでなく、三人称の語り手についても同様です。
中立的な立場の語り手にも、多少なりとも書き手の主観が混じるからです。
一人称ほどではないにしろ、やはり読み手には違和感を覚えさせてしまうでしょう。
異性を主軸に描く場合、そこに説得力をもたせるには相応の経験が必要になります。
そこにチャレンジすることを否定するつもりはありませんが、最低限、難しいことをやろうとしている自覚はもたなければなりません。
異性をベースにしたときの違和感をやわらげるためにも、慎重に行いましょう。
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