すべての刺激を表現に還元する

長かったゴールデンウィークもついに終わりを迎えますね。

みなさんはどのように過ごされたでしょうか。

私も書き手の端くれですから、完全な休日はありませんし、ゴールデンウィークなどもはや他人事のように思えています。

折々に訪れる大型連休に突入するたびに、世の中から自分だけが取り残されたような気分になります。

とはいえ、常日頃からストイックな状態を保てるわけではありません。

時間を作って気の知れた友人と会ったり、興味のあるイベントに顔を出したりと、それなりにリフレッシュすることはありました。

それもこれも「刺激」になってしまうのですから、表現の世界はおもしろいと感じるわけですね。

誰かと話したり、何かを見たり、街の音を聴いたり、風の匂いを嗅いだり。

部屋にこもってばかりでは感じられないことや思いつかなかったこと、考えもしなかったことまで自分のなかにどんどん流入してきました。

このように、表現の世界で戦う人々は与えられたすべての刺激を自らのタスクに還元できます。

書き手という立場は、その代表格といえるのではないでしょうか。

マネタイズに成功しているとか、売り上げがいくらだとか、そんなくだらないヒエラルキーをもって区分する必要は一切ありません。

感じとったものを活かして表現する姿勢が重要で、それを文章として書くからこそ「書き手」であり続けられるのです。

表現の世界で戦わない人々からすれば、不自由な生き方に思えるでしょう。

もちろん書き手である皆さんに対して、「こうであるべきだ」と決めつけるつもりはありません。

これは自分で考え、自分で決めたことであり、やらなければ気がすまないことでもあるのですから。

大型連休に入る直前の高揚や、開放的な日々を過ごすなかでの活気、日を重ねるごとに日常へと戻っていく感覚は、自分にとって関係の薄いものです。

世間の大きな流れから置いていかれた気分になると、このようにいつも「書き手としての在り方」を考えます。

そして、「文章を書く」という行為の懐の深さを実感します。

広大すぎる土俵の上に立っている以上、目に映るすべてを俯瞰しながら自分がやるべきことを全うしなければなりません。

日常にある些細な何かを取りこぼさないよう、常に「書き手であり続けよう」とあらためて思いました。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする