描写文を書くために
今回はこちらの記事の内容について、実用性を重視しながら再考してみます。
この内容では、「説明文」と「描写文」を次のように区別することにしました。
● 説明文
⇒ 物事の感じ方や捉え方に含みをもたせず、断定して書く
● 描写文
⇒ 物事の感じ方や捉え方を、読み手におもねるように描く
実際に執筆するときに悩んでしまうのは、「描写文」を書こうとする場合でしょう。
「読み手におもねるように描く」といっても、文章として言語化する以上、断定は避けられません。
物事の様子や造形、心の動きなど、ある程度の説明をもって描かなければならない状況は多々あります。
すると、自分が書いている文章が説明文であるか、はたまた描写文であるかが判別しづらくなるのです。
しかし、あまり難しく考える必要はありません。
かんたんにいえば、説明過多にならなければ良いのです。
● 説明文 ⇒ 「綺麗なバラ」
描写文 ⇒ 「赤いバラ」
● 説明文 ⇒ 「醜く太った腹」
描写文 ⇒ 「斜め下方向に膨らんだ腹」
● 説明文 ⇒ 「一人きりでいるのは寂しい」
描写文 ⇒ 「周囲から人がいなくなった」
物事に対して説明的ともいえる書き方をしていても、そのことについて「何がどうであるか」までは一切言及していません。
表現するとき、書き手が踏み込みすぎないよう一歩立ち止まり、その意味を投げかけているのです。
これが「読み手におもねる」ことであり、読み手の心が動く領域を侵害しない感覚をもつことが重要です。
書き手の説明過多によってその領域にまで踏み込んでしまうのは、ある種の「おせっかい」です。
文章を読む楽しみを、書き手本人が奪うことにつながりかねないのです。
「文章を音楽にたとえるなら楽譜のようなものだ」という言葉があります。
渡された楽譜を自分なり解釈した上で演奏することは、文章を読んで心が動かされることによく似ています。
実際に演奏するのは読み手で、書き手ではありません。
書き手は、読み手の素晴らしい演奏を導いてあげることに重きをおくべきです。
このことを自覚すれば、説明文と描写文との間に大きな違いを感じられるはずです。
それぞれの文がもつ役割も明確になり、文章全体の質も向上するでしょう。
ぜひ、創作の参考にしてください。
■ 参考
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