「人間」を描くこと
今回は、人間を描くことについてご紹介します。
方法論というよりも、概論として考えたときの「人間の描き方」についてみていきましょう。
ノンフィクションの小説を執筆するとします。
ノンフィクション作品の場合、人格的に抑揚のない人物ばかりが登場しても、一応は物語として成立します。
物語になり得るほどの「事実」は、それだけで魅力的なものだと推測される上に、その事実に基づいて書くことでシナリオの矛盾を防ぐことができるからです。
さらには「事実に基づいた物語であること」が、作品のおもしろさを “ある程度” 担保してくれます。
もちろん、登場人物の心情や動き方は物語に欠かせないものであり、事実を超える「大きな何か」を見据えるのなら、カギとなるのは「人間」です。
人格や人物像をどのように描くのかを考えなければ、物語が躍動しません。
そのため、たとえノンフィクションであっても人間の描き方は軽視できないのです。
次は、多くの人がチャレンジしているであろうフィクションについて考えます。
フィクションを書く場合には、人間の描き方を軽視できないどころか、「どのように描くのか」を重視しなければならないのです。
たとえば、あなたの好きな「俳優」を思い浮かべてください。
お気に入りの俳優さんが出演しているというだけでも、そのドラマや映画は「観る価値」があるはずです。
大袈裟にいえば、出演作品のシナリオ展開や、監督が伝えたいことなどは、さほど重要ではないのです。
万が一、その作品がものすごくつまらなかったとしても、好きな俳優さんの演技を観ることができたあなたは一定の満足感を得ているでしょう。
これは小説にも同じことがいえます。
フィクションであれば、書き手は当然「ウソの物語」を書くことになります。
どれだけ書き手が時間をかけたとしても、そこに書いたウソが作品のおもしろさを担保するとは限りません。
そこで書き手は、興味深いテーマや、読み手の気を引くような設定などを考えるわけですが、これらに注力するだけでは不十分です。
書き手は、登場人物について「どのような人物像にするか」を考えなければならないのです。
さらにいえば、読み手にとって魅力的な登場人物でなければ、物語はおもしろくならないのです。
さほど興味のない俳優さんが出演している作品を、自ら進んで観ようとは思わないはずです。
なにかのきっかけで観ることになったとして、その作品がおもしろかったのであればラッキーでしょう。
しかし、もしもつまらない作品だった場合、時間の無駄と感じるのも無理はありません。
前述したケースとの違いは、「魅力的な人間」が登場するかどうかです。
書き手は、読み手にとって魅力のある人物像を考えながら執筆するべきです。
「なにをどうすれば魅力がもたらされるか」という問いには正解がありませんが、これを考えることから逃げてはいけないのです。
最初の一歩は、書き手自身がその登場人物を好きになることです。
書き手が愛をもって描いた登場人物には「人間味」がもたらされ、きっと読み手からも愛されることでしょう。
■ 参考
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