「手直し」はほどほどに
今回は小説を書き終えた後の「手直し」について考えていきます。
仮に、書き手の力量をはかるとしましょう。
これを判断するに適切と思われるのは、書き上げた直後の文章です。
書き上げた直後の文章は、もっとも自然な仕上がりあるはずですね。
フレッシュな状態での出来栄えが、「書き手の筆力(実力)」を表しているといえるのです。
そう考えると、文章の手直しは慎重に行うべきです。
なぜなら、手直しをすればするほど、その文章は不自然な状態へと変貌していくからです。
もちろん、「まったく手直しをしない」ことに抵抗がある書き手も多いでしょう。
とくに小説を書きなれていない人は、作品を読み返すことでなんらかの不備を確認する作業はあっても良いはずです。
重要なのは、手直しにこだわりすぎないことです。
書き手は、さまざまな言葉が頭に浮かぶなかで、多種多様なパターンを試しながら、文章として編んでいきます。
つまり、書き上げるまでの過程で、すでに何度も書き直しているはずなのです。
書き手自身がこの事実を信じていれば、手直しに時間をかける必要はないはずですね。
書き手にとって良くないのは、手直しが「いいわけ」になってしまう状況です。
一度でも書き上げたのなら、書き手は次の作品にとりかかるべきですね。
外に出たり、誰かと会ったり、資料を集めたりと、やるべきことがたくさんあります。
「手直し」と称して、間を埋めているうちに、次の作品を書きはじめるタイミングはずれこんでいきます。
手直しの作業に没頭するということは、その作品に執着することでもあるのです。
そうなってしまうと、書き手としての活動を停滞させる原因になり得るため、本末転倒ですね。
「作品の出来栄えにこだわる」のはとても良いことで、これを否定するつもりはありません。
ただし、「誰かの指摘」を不安に思い、書き手が足踏みをするのは望ましくないことです。
もしくは目の前の作品に執着して、せっかく書いた小説を眠らせたままにしておくのは非常にもったいないことです。
どちらの場合も、書き手にとっては大きな損失です。
作品が世に出る前であれば、指摘された時点で手直しすれば良いだけのことです。
手直しできない状況にあるならば、次の作品で改善すれば問題ありません。
書き手は、「作品を書き上げた」という事実を信じてみましょう。
■ 参考
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