「良い」と「悪い」と「好き」と「嫌い」
自分の小説に対して、誰かから「良い作品」と評価されることがあります。
おおまかな評価に使う表現として、とくに問題ないでしょう。
しかし、「悪い作品」と評価される場合もあります。
この「悪い作品」という表現は、おおまかな評価であったとしても、本質を突いているとはいえません。
小説は創作物や表現物ですから、「良い・悪い」で語られるべきではないのです。
もしも本当に「悪い作品」であれば、それは世に出ることができないはずです。
何かの間違いで悪い作品が世に出たとしても、話題になった時点で、そこにはなんらかの意味があるでしょう。
したがって、あなたの小説が「これは悪い作品だ」と評価されたとしても、気に病むことはないのです。
小説を「絵」や「音楽」に対応させてみると、わかりやすいでしょう。
「良い絵」や「良い音楽」と聞けば、誰かの作品が頭に浮かぶはずです。
しかし「悪い絵」や「悪い音楽」となれば、なかなかイメージしづらいですね。
もしも特定の創作物を思い浮かべたとしても、それはおそらく「悪い作品」ではありません。
ひょっとすると、あなたが「嫌いな作品」ではないでしょうか。
● アンディ・ウォーホルの絵は好きだけれど、キース・ヘリングの絵は嫌い
● ザ・クラッシュの曲は好きだけれど、セックス・ピストルズの曲は嫌い
こうした区別は、ごく自然なことです。
創作物が評価されるとき、「良い・悪い」での区別は適切といえません。
しかし、評価される側の「好き・嫌い」はあって当然なのです。
ここでまた、小説に戻ってきましょう。
小説においても、「好き・嫌い」の違いがあるはずです。
● 夏目漱石の作品は好きだけれど、森鴎外の作品は嫌い
● 三島由紀夫の作品は好きだけれど、太宰治の作品は嫌い
もちろん、かならずしも「嫌い」と断言されるわけではありません。
「好みじゃない」だったり、「波長が合わない」だったりと、その表現はさまざまでしょう。
ネガティブな評価を受けたとしても、「小説の多様性」や「表現の振り幅」を脅かされることはありません。
それは、かならずしも作品の本質を否定するものとは限らないのです。
書き手は、自分の作品が「好き・嫌い」で区別されることを自覚することが重要です。
その上で、評価を冷静に受け止めましょう。
■ 参考
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