物語のなかに「ドラマ」を描く
「スポーツは、何が起こるかわからないからおもしろい」
このように感じて、スポーツ観戦を楽しんでいる人も少なくないでしょう。
それとなく納得できる一方で、腑に落ちない点もあります。
たとえばサッカーでは、パスやドリブルでボールをつないでいきます。
そして、シュートを打ち、ゴールを狙います。
最終的には、どちらかのチームが勝つことになりますね。
まったく同じ試合は存在しないものの、いつも似たような展開がくり返されています。
おおまかな内容として考えれば、どの試合であってもあまり変わりがないのです。
例外があるとすれば、スタジアムにいる観客がピッチへ乱入することでしょうか。
想定外の事態ではありますが、「意外性」というほど良いものではありません。
試合自体が止まってしまうのですから、どちらかといえば観戦している人をうんざりさせるものです。
そう考えると、「スポーツは何が起こるかわからないからおもしろい」という主張は、かならずしも正しいわけではないのです。
前置きが長くなりました。
小説を書く場合にも同じことがいえます。
世に出ている物語の多くは、定型化されています。
プロットやシナリオは、ほかの作品の焼き増しであることがほとんどです。
つまり、読み手はなにが起こるかを予想しているわけですね。
ただし、予想どおりの展開になったからといってネガティブな評価に直結するわけではありません。
サッカーの例を思い出しましょう。
展開する先が見えているのにもかかわらず、スタジアムには何万人もの人々が駆け付けます。
理由は人によってさまざまでしょうけれど、そこには「何か」があるはずです。
以前、このようなツイートをしました。
わかった!
スポーツには創作じゃないドラマがあるんだ!
とくにサッカーは大きな意思が介在しない''劇的な展開''が発生しやすいから、それを観たいんだ!すっきりした!
— 赤鬼 (@writingmaster02) May 13, 2019
内容としてみれば、似たようなものであることに間違いはなく、その結末が予想できることに変わりはありません。
しかし、そこには「ドラマ」があります。
上記のツイートにある “劇的な展開” が、それを具体化します。
たとえば、次のようなドラマがあったとしましょう。
① 昔から応援していた選手が、この試合をもって引退する
③ 前半終了後のスコアは「0-2」で、チームは窮地に立たされた
② 応援していた選手が活躍し、それによってチームが息を吹き返す
④ 試合終盤でチームが逆転し、最終的には勝利した
あくまで例ではあるものの、サッカーの試合にはこのような劇的な展開が起こります。
人によってはありきたりな逆転試合だったとしても、観ている人からすればリアルなドラマなのです。
書き手が注力すべきは、読み手を唸らせるようなドラマを創りだすことです。
読み手に応援されるような登場人物を設定したり、障害や葛藤を乗り越える展開を設けたり。
たとえ「型にはまった物語」だったとしても、ドラマさえあれば読む価値が生まれるのです。
定型化された物語をネガティブに捉える必要はありません。
むしろ、決まりきっているからこそ安心して楽しめることだってあります。
試合中のピッチに乱入する観客のように「悪い意味で型破り」の展開があれば、作品そのものを破綻させる恐れがあります。
不安要素を排除した上で、中身を濃く描いていくことが大事ですね。
「おもしろい物語」にするために、書き手はさまざまなところで勝負しなければなりません。
作品で扱うテーマや舞台の設定、登場人物の人格など、書く前に練っておくべきことはたくさんありますね。
そのひとつとして、物語のなかに「ドラマ」を描くことにも力をいれましょう。
■ 参考
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