書き手の経験がもたらすもの【小説の迫力】
作品には、書き手自身からにじみ出てくるものがあります。
それは小説の「迫力」として、読み手を惹きつける要素となります。
小説に迫力がもたらされるとき、もっとも強く影響するのは「経験」です。
今回は書き手がもつ「経験」について考えていきましょう。
経験から生まれる迫力
物語のなかに「死」を扱うとしましょう。
例
● 死にかけた経験がある書き手
● 一度も危険な目に遭ったことがない書き手
「死」の描き方は、両者で違っているはずです。
その細部には差がみられるでしょうし、死にかけたことがなければ描けないものがあるはずです。
もちろん「経験がないのにリアルに描く」のもスキルのひとつです。
しかし経験の有無やその程度の差が、作品に影響を及ぼすことは間違いありません。
経験からもたらされるリアリティのある内容は、迫力をもって読み手に届くでしょう。
「何もない=書くことがない」は間違い
書き手がもっている経験が凡庸だったり、そもそも特筆できる経験がなかったりすることも考えられます。
「何もない」と思っていることには、価値があります。
たとえば「一度も危険な目に遭ったことがない書き手」であれば、逆にその詳細を知りたくなるはずです。
安全に暮らすための秘訣はあるのか、スリルを感じるとしたらどんなときか、「死」に対してどう思っているのかなど、興味がわくポイントはいくつもあります。
自分自身に「何もない」と思っていたとしても、そこで「書くことがない」と気落ちするのは間違いです。
「経験」といえば身体的なものをイメージしがちですが、精神的な面からアプローチすればどんなことでも書けるはずです。
例
● 会社経営の経験がある/これまで一度も働いたことがない
● 犯罪に手を染めたことがある/犯罪の「は」の字も知らない
● 雪国に住んでいる/これまでの人生で「雪」を見たことがない
たとえ経験値が低かったとしても、その書き手から見た景色や、その境遇にいたからこそ思ったことなどがあるはずです。
「小説に書くほどのことではない」とあきらめるのではなく、自分がもっている経験の価値を見出しましょう。
それはきっと、小説の迫力につながるはずです。
「厳しく批評する目」が重要
経験を書くときに注意すべきは、「迫力の押し売り」になってしまうことです。
書き手のなかにあるものは、ついつい文字数が膨らみがちです。
私小説ならそれも理解できますが、フィクションとして書かれた作品を「自分語りの場」として利用するのはおすすめできません。
書き手が尊重すべきは、あくまでも「物語の世界」なのです。
だからこそ書き手が自分自身を吐露するときは、厳しく批評する目をもつことが重要です。
その経験が物語にとって不要であれば、書く必要はありません。
必要であったとしても、いざ描くとなれば冷静であることを忘れてはなりません。
自分の経験を浪費せず、物語にとってプラスになるように描いていきましょう。
■ 参考
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません