「風景」を書く意味
今回は、風景を書く意味について考えていきましょう。
前提として、すべての文章には意味をもたせるべきです。
作中で風景を描写するとき、あなたはその文章にどのような意味付けをしているのでしょうか。
なかには、「小説っぽいから」という理由で、風景の描写を取り入れている場合もあるでしょう。
それが作品にハマってしまえば問題ありませんが、書き手が意識していない以上、ギャンブルであることに変わりはありません。
運にまかせた書き方をしないためにも、書き手は、風景を書く意味と向き合うべきなのです。
構造的な視点から考えてみると、わかりやすいでしょう。
物語には、「場所」や「時間」を特定しなければならない状況があります。
そのときに風景を活用すると、スムーズに導入することができます。
たとえば「水平線から朝日が昇っている」という風景の描写があったとしましょう。
物語が展開されるのは、「海」が見える場所ですね。
その時間帯が「朝」であることは言うまでもありません。
このように、風景を描写することで「場所」と「時間」を提示できるのです。
仮に風景を描写しないとしたら、「午前4時に○○海岸にいて……」のように、文章で説明するしかなくなります。
しかし、これは単なる “説明文” でしかありません。
物語の都合上、必要があって説明するならまだしも、説明文ばかりが連なるのであればそれは小説でなくても良いでしょう。
このように考えると、風景を描写することの意味を実感できるはずです。
もうひとつ、書き手として覚えておきたいことがあります。
風景には、書き手と読み手をつなげる効果があります。
風景には、普遍性(あるいは不変性)があります。
そのため、読み手と書き手が感覚を共有しやすいのです。
極端な例ではありますが、「改憲の賛否」を複数人に問えば、それぞれの意見は分かれて当然です。
しかし、「水平線から朝日が昇っている」と書いていれば、読み手は文章からその様子をイメージできますね。
同じようなイメージを共有できるということは、「書き手と読み手が物語を媒介してつながる」といいかえることができます。
つまり「書き手ー物語ー読み手」という関係を結ぶにあたって、風景が接着剤になるのです。
前述した構造的な意味を含めて考えると、「風景」がいかに便利な要素であるかがわかります。
書き手として、これを活用しない手はありません。
これまで “なんとなく書いていた” のであれば、使うべきタイミングがずれていたり、使いすぎていたりすることもあったでしょう。
良い作品にするため、風景を書く意味を考えながら、これを有効活用していきましょう。
■ 参考
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