贈り物としての文章【読み手にとっての価値】
書き手が知識やテクニックに頼るだけでも、”文章”は書けるでしょう。
ただしいくら読みやすくわかりやすい文章を書いたとしても、読み手の心に響くかどうかはわかりません。
その不安をカバーするためには、文章を「贈り物」として捉えることが大切です。
以降で具体的に考えていきましょう。
「文章は読む」は大変な作業
おもしろい小説は、数時間続けて読んでいても苦ではありません。
しかし人間である以上、長い時間読んでいれば目や頭が疲れますし、首や肩が凝ることもあります。
たとえ「娯楽として読む」のだとしても、読み終えたときには体への負担を自覚するでしょう。
車のなかで音楽を聴いたり、ホットドッグを食べながら映画を観たりする状況とは、根本的に違うのです。
書き手は、文章というインターフェースが読み手に与える影響を理解しなければなりません。
「文章を読む」という行為はとても大変な作業で、読み手に対して多大なエネルギーを要するのですから。
その上でどのように配慮していくかを考えましょう。
自分を満足させる文章はNG
まず、書き手として気をつけるべきことをおさえておきましょう。
前項にあったように、多くの文章は読み手に負担をかけてしまいます。
せっかく読んでもらうのですから、読み手にとってなにかしらの価値がなければなりません。
そこで気をつけるべきは、書き手が自分のために書く文章です。
読み手の目に入ることを前提とした文章は、書き手の自己実現や自己救済のために書いてはならないのです。
もちろん文章によっては「自分語り」や「自己満足」の意味が強くなることもあります。
ただしそのような類の文章は、内容が読み手にとってプラスであることを見据えなければなりません。
読み手のことを考えずに書くつもりであれば、最初から人目にさらさないほうが良いでしょう
文章をプレゼントする
とはいえ文章には、「読むことによる負担を超えるもの」が与えられる場合もあります。
前々項にあった「おもしろい小説」が代表的な例です。
ほかにも「子どもからの手紙」や「関心があるニュース記事」もこれに該当します。
文章によって読み手に価値を提供できれば、読むことによる負担はほとんどゼロに近くなるでしょう。
したがって書き手は、文章を「贈り物」として考えることが大事です。
大切な人への贈り物には、気持ちがこもっているはずです。
喜んでもらうためのものを選ぶでしょうし、包装や渡し方にもこだわるはずです。
同様に、「読む」という行為を喜びにするため、文章をプレゼントするつもりで書くのです。
読むことによって感動したり、嬉しくなったり、勉強になったりする。
そんな価値ある文章をプレゼントしていきましょう。
■ 参考
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