書き手の目線の高さ【読み手との関係】【バランス感覚】
プロアマ問わず、あなたが”書き手”である以上は読み手を意識して書くはずです。
いわゆる「読み手のことを考える」ですね。
ただしこれは、かならずしも「読み手と同じ目線に立つこと」ではありません。
今回は書き手の目線について、具体的に考えていきましょう。
読み手よりも一段上に
まずは、自分自身が読み手となった場合を考えましょう。
すでに知っている情報や経験済みの出来事が、まったく同じ価値観で書かれていたらどうでしょうか。
他人となにかを共有したり、同調を実感したりする喜びはあるかもしれません。
しかしそこに、目を疑うような新しい情報はなく、胸を打たれるような新しい価値観もありません。
つまり既知の内容が書かれた文章は、あなたの内面を拡張することがないまま終わることになるのです。
書き手の立場に戻りましょう。
読み手の世界を広げるためには、書き手として相応のポジショニングが求められます。
つまり、原則として書き手の目線は、読み手よりも一段上におかなければなりません。
一段上の高さに目線をおくことで、読み手のなかにない情報や価値観を提供することができるわけですね。
バランス感覚は必須
現実的に考えれば、最初から最後まで”上から目線で見下しながら書く”わけにもいきません。
「小学生向けの文章で漢語を多用する」「ある分野の初心者向けの文章で専門用語を並べる」など、読み手を無視した文章が受け容れられないのは当然のことです。
ときには読み手と同じ高さまで目線を落とし、書き手が歩み寄るかたちが書くことが大切です。
もちろん、過度にへりくだる書き方も正解ではありません。
「大学生向けの文章でひらがなを多用する」「ある分野の玄人向けの文章で基礎知識を説明する」としましょう。
馬鹿にされた気分になったり、時間を浪費してしまったと感じたり、読み手からすればポジティブな印象にはなり得ませんね。
極端な例かもしれませんが、実際の執筆では上記のような”ねじれ”を防がなければなりません。
書き手が「読み手の一段上に目線をおく」とはいえ、これはあくまでも原則であり、そこに腰をすえるわけではありません。
目線の高低を調整しながら、適切な言葉を選び、読み手に伝わるように書いていくのです。
「書き手」は多重構造
前項までの内容を踏まえると、書き手はあらゆる目線を行ったり来たりしていることになります。
いわば書き手となる人は、その内側に「多重構造」をもっていることになるわけですね。
「一文を書き終えた直後」のあなたは、この世でいちばん最初の読み手になります。
この時点で、目線は「書き手→読み手」へとスライドしていますね。
執筆中の言葉選びや表現の仕方だけでなく、書き終えたあとのチェックも含めて、複数の層を移動しているのです。
この多重構造は、書き手に必要とされる根本的な性質のひとつといえます。
ひとまとまりの文章を書くには、多重構造を行き来しつつ、その都度調節しながら書かなければなりません。
これを反復したり、再現したりすることで、書き手らしい活動を続けていくことができます。
今、どの高さの目線で見ているのか。
執筆や推敲を行うときには、自分の目線の位置を意識してみましょう。
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