緊張感をもって書く文章【攻め・挑戦・勝負】【価値ある文章に】
危うさを含んだ文章には魅力があります。
適度な淀みに心地良さを感じたり、訝しげる気持ちでどんどん読み進めたくなります。
しかし当然ながら、過激な内容であることが”おもしろい文章”の条件ではありません。
危うさを含まない文章であっても、読み手の心を動かすことはできるのです。
危うさを含めずに書く
たとえば次のような文章は、かならずしも危うさを含んではいません。
● 新しい概念を言語化する
● 物事を論理的に説明する
● 膨大な量の情報を記録する
これらを成立させようとするとき、書き手に過激なスタンスが求められるでしょうか。
どのようなアプローチで書くかによって印象は変わりますが、少なくとも内容に敵対勢力のような存在を見据える必要はありません。
挙げた例でいえば、トピックの選定や、ロジックの組み方、文章のまとめ方のほうがよほど重要であるはずです。
これらに成功さえすれば、内容にトゲやカドがなかったとしても、強い関心を引き寄せることは可能なのです。
もちろん、書き手が受身の状態でいれば、実現できない文章であることはたしかです。
この場合でも書き手には「攻め」の姿勢が求められるわけですね。
「緊張感」をもって書く
危うさを含まないにもかかわらず、どのようにして「攻め」るべきか。
書き手が意識して考えるべきは「緊張感」です。
危うさの有無に関わらず、魅力的な文章には、どこかに緊張感が漂っています。
緊張感をもって書かれた内容ないし文章は、一定の訴求力をもつのです。
● 新しい概念を言語化する
● 物事を論理的に説明する
● 膨大な量の情報を記録する
文脈が途切れたり、論理が破綻したり、書き漏れがあったりすれば、どの文章も成立しません。
それぞれが抱いた「試み」を推進力として、伝えたい内容を浮かび上がらせることが求められます。
書き手が少しでも気を抜くとすべてが崩れてしまうような、不安定な状態で書くことになるわけです。
この拮抗した状況に、緊張感が生じています。
危うさよりもマイルドではありますが、十分な魅力を感じることはできます。
価値ある文章に
拮抗した状態で書かなければならないとき、書き手としては辛く苦しい時間を過ごすでしょう。
しかし裏を返せば、その文章の内容には「苦しんでまで書く価値がある」と考えることもできます。
数行で表現できるくらいの内容であれば、そんなことをする必要はありません。
かんたんに表現できない内容に挑戦するからこそ、価値ある文章になるのです。
もちろん文章は、書き手だけの都合で仕上げるわけではありません。
文章の内容に含んだ緊張感は、読み手にとってのフックや読後のカタルシスにつながります。
のぺーっと書いた平板な文章が、読み手の心を動かすでしょうか。
要するに、緊張感は読み手のためにもなるわけです。
むしろ、執筆に伴う緊張感はすべて読み手のためにあるべきです。
どのくらいの緊張感をもつか、内容にどのくらい反映させるのか、読み手にどのくらい共有するのか、程度は場合によってまちまちです。
その緊張感は、書き手本位のものではなく、読み手のためになるよう文章に作用させなければなりません。
読み手の「おもしろい!」を引き出すため、積極的に攻めて、勝負して、自ら創った緊張状態を打開していきましょう。
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