ボリュームの感覚【文章量と内容】【構成力】
文章のボリュームには、2つの意味があります。
「文章量」のように数値化できるものと、「内容」のように数値化できないもの。
どちらも”読みごたえ”にかかわることではありますが、いまいち整理できていないのではないでしょうか。
今回はこの2点について考えていきます。
文章量のカウント方法
まずは数値化できるものから整理していきます。
執筆を依頼された場合、主に3つのカウント方法によって文章をはかります。
WEB媒体であれば「文字数」でカウントすることがほとんどです。
「○○○○文字以上」と最低文字数が定められていたり、「○○○○文字程度」のようにざっくりと指示されたり。
見出しや項目ごとの文字数を細かく指定される場合もありますが、WEBページの性質上、紙媒体ほどシビアではありません。
出版社と仕事をする場合、文章量は基本的に「枚数」でカウントすることになります。
とくに指定がない場合、「400字詰めの原稿用紙」を一枚として計算します。
小説の新人賞などの応募ページで「100枚程度」「300枚以下」との規定があるように、書籍関連の文章量は慣習的に原稿用紙で換算しています。
ただし雑誌の企画記事などで書く場合は、レイアウトの都合上、「文字数×行数」などを指定されることもあります。
新聞記事では「文字数」ないし「文字数×行数」になりますが、この場合はとくにシビアに考えなければなりません。
新聞こそレイアウトがかっちりと決まっていますから、文章量について細かく指定されるのは当然で、書き手自身も気を使うことになるでしょう。
「適切な文章量」「適切な内容」
書き手が執筆を依頼されたときは、まずは自分に与えられた枠組みを把握しなければなりません。
いやらしい話にはなりますが、報酬を受けとるためにも、課せられた文章量のとおりに書くことが最低条件となります。
しかしながら、規定の文章量をクリアするだけで文章は成立しません。
書き手が重点をおくべきは、「内容」との関係です。
たとえば「原稿用紙一枚の文章」を書くとしましょう。
400字で伝えられる内容は限られます。
「枚数」「文字数」「文字数×行数」とは違い、「内容」はその大小や濃淡を数値化できません。
扱うテーマやトピックが大きすぎるとおさまりきらなくなりますし、かといって薄すぎると物足りなくなります。
つまり書き手は「内容に対して適切な文章量」、あるいは「文章量に対して適切な内容」を意識する必要があります。
これがぴたりとはまったとき、文章はちょうどいいボリューム感をもつことになります。
構成力を身につける
執筆を依頼される場合は、クライアントや編集者など、コーチ的な存在がいます。
コーチングの程度や頻度に差はあれど、文章量の過不足や内容の良し悪しを判断してくれるはずです。
一方で、自発的に書く文章の場合、(少なくとも執筆途中の段階で)頼れる人はいません。
文章量と内容、両方に過不足やムラがないように、自分自身で強く意識しながら書かなければなりません。
このとき書き手が考えているのは、文章の構成です。
つまり「適切な文章量」「適切な内容」は、きちんとした構成力が身についていなければ実現できないわけです。
ここでの構成力とは、いわゆる「起承転結」や「序破急」などの構造的なものではありません。
まとまった文章を書くために必要とされる、根本的な力です。
身体的な感覚として染みこませる
文章のボリュームに対する感覚をつかんでいれば、ちょうどよくおさまるテーマやトピックを選定できるようになります。
ほとんど無意識のうちに、想定する文章量に対して「適切な内容」を選別することができます。
もちろん、扱う内容に対する「適切な文章量」も同様です。
執筆途中であっても、おおよその文章量まで把握できるようになります。
重要なのは、「適切な内容」「適切な文章量」を身体的な感覚として染みこませることです。
たとえばこのブログでは一記事につき、1500文字から2000文字くらいの間におさまるように書いています。
厳格に文字数を制限しているわけではありませんが、過不足のない内容を無意識に選んでいるようです。
ひたすら執筆に集中していても、だいたいこのくらいの文章量で完結するようになりました。
ほかの業界で応用が利くとは思えませんが、書き手には必要とされる能力といえます。
この感覚をつかむには、経験を積むしかありません。
ちょうどいいボリュームがつかむまで、ひたすら書いて読んでをくり返しましょう。
■ 参考
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