【創作】「量」と「濃度」から考える物語の構成
構成が失敗するパターンには、いくつか種類があります。
そのひとつが「文章の量」と「内容の濃度」の不一致です。
両者が不揃いのまま書き進めると、作品として成立させることが難しくなります。
物語の構成に失敗しないためにも、書き手は常にこの関係性を意識しなければなりません。
「文章の量」について
応募規定が「400字詰原稿用紙100枚以上300枚以内」の文学新人賞があったとしましょう。
書き手は、なんとしてでもこの規定のなかで物語を完結させる必要があります。
100枚に満たなかったり、あるいは300枚に収まっていなかったりすれば、その作品は規定から外れることになります。
そうなると書き手は、物語全体の構成を見直さなければなりません。
文章の量に過不足が生じる原因として、テーマの扱い方を間違えている状態が考えられます。
● 長編で扱うべきテーマなのに、短編の範囲内に収めようとしている
● 短編に適しているテーマなのに、長編の物語を支えようとしている
● ひとつの要素やトピックにしかなり得ないものを、テーマと錯覚している
上手な書き手であれば、切り口を変えたり、視点を工夫したりなどで成立させられるかもしれません。
慣れていない人が気づかないまま書き進めると、泥沼から抜け出せなくなってしまう恐れがあります。
「内容の濃度」について
同時に、内容の濃度についても考えなければなりません。
文章のまとまりごとに、「極端なムラ」が生じることがあります。
「ある場面では情報をぎっちりと盛りこみ、別の場面では薄く引きのばしている状態」ですね。
おそらく、この状況は書き手にも自覚があるはずです。
書き手が伝えたいことや描きたい場面、表現したい物事を書いているときは、どうしても力が入るものです。
その内容を支えるための文章の濃度が薄まってしまうのは、ある意味で自然なことです。
が、この濃淡をいびつなまま放置すると、前項で触れた「量の過不足」の問題にもかかわってきます。
濃度のばらつきが見えたときには、まずは書き手自身が冷静になり、改善を検討しましょう。
必要なムラもある
どんな文章でも「読ませどころ」があります。
そこに至るまでの「導入」「イントロ」「オープニング」や、終わるときの「締め」「アウトロ」「エンディング」はあってもいいのです。
たとえばビジネス文書では、冒頭や末尾に「あいさつ」をおいて本題をはさみますね。
用件を伝えるだけなら不要ではありますが、わきまえるべきマナーと考えれば必要な文言といえます。
ややこしいことに小説では、書き手が意図して濃淡をつける場合があります。
前フリを設けることでその後の展開を印象づけたり、途中に”だれ場”を作ることで大一番の場面を際立たせたり。
これは抑揚を演出するためのテクニカルな試みで、場面同士をブリッジする「つなぎ」のような役割をもっています。
物語を盛り上げるためには必要なムラといえます。
量と濃度を合致させる
文章を書くのはとても大変なことです。
とくに小説は(掌編を除けば)おしなべて長文になりますから、体力も根気も求められます。
それは読み手側も同様で、長文を読むことは決して楽な作業ではないのです。
いいかえれば、文章量の過不足や濃度のムラが生じたとき、負荷がかかるのは読み手です。
そうならないためにも書き手は、「文章の量」と「内容の濃度」を合致させなければなりません。
量と濃度、双方に配慮しながら物語を編んでいけば、このパターンで構成を失敗する確率はがくんと下がるはずです。
かんたんなことではありませんが、必達目標ではなく”努力目標”として、心がけるべきです。
執筆の最中、文章量や枚数を確認しながら、内容の濃淡がいびつになっていないかを意識する。
「必要なムラ」を設けた場合であっても、想定している枚数から逸脱しないよう注意する。
全体のボリュームを考えつつ、それぞれの文章がもつ役割を確認しながら、「量×濃度」をちょうどいい具合にもっていきましょう。
■ 参考
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