言葉づかいから考える 独自のスタイルを貫くということ
先日、テレビ番組を観ていたときのことです。
出演していたタレントが、「食べれない」と発言しました。
しかし、テロップの表示では、「食べられない」となっていたのです。
このように、話し言葉では一般化しつつある表現でも、書き言葉では誤りとされる場合は多々あります。
話し言葉と書き言葉は、常に区別にして考えなければならないのです。
その典型例が、ラ抜き言葉です。
上で挙げたように、社会の風潮としてはまだこれを容認しないようですね。
これを身近なところから感じた出来事でした。
しかし、時代の流れとともに、言葉は変わり続けてきたのは事実です。
変化の仕方はおぼろげで、その解釈も人によって異なります。
ラ抜き言葉に関しては、それを「言葉の乱れ」と捉えず、「正当な変化」だと主張する専門家もいます。
つまりラ抜き言葉が、間違いであると言い切ることはできないのです。
書き手として、正しい書き方を心がけるのは当然ですね。
ただし、ここで考える「正しさ」とは絶対的なものではないのです。
まずはこのことを肝に銘じておきましょう。
その上で何が重要になるかというと、自分のスタイルを一貫させることです。
たとえば「ラ抜き言葉は正当な変化である」と考えている書き手であれば、積極的にラ抜き言葉を使って書けば良いのです。
もちろん、ラ抜き言葉を使ったり使わなかったりと右往左往すれば、全体の整合性がとれなくなりますね。
それはもはや、書き手のミスです。
スタイルはそれぞれ確立されていくにしても、この「一貫する」というのがなかなか難しいところですね。
一貫させるためのポイントは、なぜその書き方をしなければならないのかを理解することです。
表面上の正解と不正解ばかりを拾っていては、いずれボロが出てしまうでしょう。
ミスを防ぐためには、なぜそうなるのかを考えながら書かなければなりません。
私の場合、ラ抜き言葉は使わないようにしていますが、その理由は2つあります。
ひとつは、社会全体でまだラ抜き言葉が受け入れられていないから。
もうひとつは、「ラ抜き言葉で統一する」という選択肢は表現の幅を狭めることにつながるから。
こうした理由から、ラ抜き言葉を使わないようにしています。
書き手として言葉の使い方を定めることは必要ですが、それではまだ不十分です。
使う理由、もしくは使わない理由を明確にした上で、自分なりの正しい書き方を心がけましょう。
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