会話文が越えられない壁
小説の会話文を書くにあたって、自然な会話を目指すのは当然のことです。
しかしタイトルにあるように、会話文には超えられない壁があります。
それは、書き手がどのような工夫を凝らしても、不自然さはかならず残るということです。
日常生活での会話を思い浮かべてみましょう。
誰かと話すときは、さまざまな音が耳に入ってきます。
声の質だったり、トーンだったり、音量だったりと、話の内容以外にもたくさんの情報が含まれています。
それから、「目で見える様子」も大切な情報ですね。
話し手の表情、視線、仕草など、会話をする相手やそのときの状況によって、微妙な変化があります。
日常生活では、これらすべての情報を複合的に収集し、その都度判断しながら内容を聞き取ります。
しかし小説の会話文では、文字でしか表現することができません。
前後の文脈で補うにしても限界があるため、不自然さを完全に払拭することは不可能なのです。
この「超えられない壁」に対して、書き手はどのように向かい合えば良いのでしょうか。
書き手の心持ちとして重要なのは、割り切ってしまうことです。
そもそも、「書き言葉で話し言葉を表現することに無理がある」と考えましょう。
これを自覚することで、会話文を書くときの心持ちが変わってくるはずです。
たとえば、「ちょっと待っててね」という会話文を書いたとしましょう。
この発言は、キャピキャピした女の子のものかもしれませんし、こってり太ったオジサンのものかもしれません。
それを規定するのは、地の文であり、場面であり、そこに至るまでの展開です。
会話文に固執することで表現しづらくなってしまうのではなく、ほかの要素で演出すれば良いのです。
会話文に不自然さが残るのは仕方ありません。
会話文にある不自然さを自覚しながらも、ほかの要素で補完しながら、より良いものを目指そうとする。
この姿勢が大切なのです。
自然な会話を目指すと同時に、文章でこそ表現できるモノを伝えていきましょう。
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