描写の機能をもった会話文

 

会話文は、ただ情報を伝えるためだけに存在するわけではありません。

登場人物がおかれた状況によって、その意味や質が変わります。

ときには、会話が描写のように機能することもあるのです。

 

書き手の目線で、会話文の質が変容する様子を見ていきましょう。

 

「うれしいよ。ありがとう」

 

これがシンプルに「感謝する様子」を描いたものだったとしましょう。

描き方はさまざまですが、にこやかに、おだやかに、といった雰囲気でこの言葉を放つはずです。

するとこの会話文は、「情報を伝える」という役割を担うことになります。

登場人物が作中の相手に対して感謝を伝えることはもちろん、その様子を読み手にも伝えるわけですね。

 

しかし、会話するときの状況によっては、違った意味が見えてくることがあります。

 

たとえば、“苦笑い”しながら「うれしいよ。ありがとう」と言ったとしましょう。

話者にとっては、感謝すべき内容が余計なことだったのかもしれませんし、取るに足らないことだったのかもしれません。

そうなると、会話文の質が変容しますね。

含まれる意味合いを考えれば、感謝ではなく「皮肉」になるわけです。

 

後者の場合、会話文をもって「登場人物の心情」を描写したことになります。

登場人物がもつ複雑な心境や、ねじ曲がった心理を表現しているのです。

文面は同じであったとしても、このときの会話文は描写的な機能をもったといえるでしょう。

 

描写のような会話文は、さまざまなセリフで成立させることができます。

 

「今日は良い日だ」

「きれいな景色だ」

「カンベンしてよ」

「やらかしてくれたな」

「本当に鬱陶しいな」

 

セリフは、ポジティブなものでも、ネガティブなものでもかまいません。

状況さえ整備してしまえば、裏側に含まれる意味を交差することは可能です。

 

もちろん、その状況を作るのは書き手自身ですね。

書き手は、表層にある情報だけに着目すべきではありません。

会話を用いる場面において、「その会話が何を表現しているか」にもコミットしましょう。

 

■ 参考

創作

Posted by 赤鬼