短く書かなければならない理由

 

短く書くということ。

これは、執筆の基本となるテクニックであり、心構えです。

知識として、あるいは感覚としてわかっている人も多いのではないでしょうか。

 

今回は、なぜ短く書かなければならないのかについて考えてみます。

理由はいくつか考えられますが、日本語の構造に焦点をあてながら紐解いていきましょう。

 

まずは、前提として理解しておくべきポイントです。

日本語には、最後の言葉によって主旨が確定するという特徴があります。

 

言葉である以上、どの言語も同じことのように思えますね。

しかし、日本語に関しては、とくにこの傾向が強いのです。

例を見てみましょう。

 

 

例文

ここにあるりんごは、すべて青森産(   )

A. です。

B. ではありません。

 

(   )のなかに入るのは、AとB、どちらでしょう。

もちろん、これは書き手にしかわからないことです。

 

ここでおさえておきたいのは、最後の言葉によって主旨が確定するという意味を実感すること。

冒頭にあったとおり、これは日本語がもつ特徴ですね。

これこそが、まさに短く書かなければならない理由なのです。

 

しかし、なぜこの特徴が文章の書き方を制限するのでしょうか。

読み手と書き手、双方の立場から、具体的に考えてみましょう。

 

まずは、読み手側として。

最後を読み終えるまで全体の主旨がつかめないのですから、文章が長ければ長いほど集中力を強いられることになりますね。

そうなれば当然、長い文章よりも、短い文章のほうがわかりやすいわけです。

 

一方で、書き手側としてはどうでしょう。

実のところ、集中力を強いられるのは書き手も同様です。

一文のなかに情報を詰め込もうとすると、主語や述語の関係が複雑になります。

つまり、文章が長くなると論理的な組み立てが難しくなるのです。

最悪の場合、文章の構造がくずれてしまうことも考えられます。

 

もうおわかりですね。

「最後の言葉によって主旨が確定する」という日本語の特徴。

これを無視して長い文を書いてしまうと、読み手と書き手、双方にデメリットが生まれるのです。

だからこそ、文は短く書かなければならないのです。

 

冒頭にあったように、短く書かなければならない理由は他にもいくつかあります。

今回の内容は、比較的、理屈として理解できる理論的なものといえます。

「短く書く」という鉄則を実践する上で、ぜひ参考にしてください。

 

 

 

 

Posted by 赤鬼