余韻を伝える

 

どのような文章においても、「説明」はつきものです。

伝える性質をもっている以上、これは避けられません。

しかし、「説明のしすぎ」は禁物です。

過度な説明は、読み手の想像力を限定してしまいます。

 

 

原文

朝目覚めたとき、今までにない気怠さを感じた。

重い足取りで体温計を見つけだし、それを脇にはさんだ。

やはり、信じられないくらいの熱があった。

 

「熱があった」ことを強調するために、「信じられないくらいの」と修飾しています。

字面だけを見れば、とんでもない高熱が出たと推測できますね。

 

しかし、果たしてこの修飾は必要でしょうか。

 

たとえば「38.5度の」であれば、具体的な計測値として伝わります。

これなら問題ないでしょう。

 

「信じられないくらいの」は、あくまで書き手の主観でしかありません。

このように主観的で不確かな表現では、読み手の感覚から離れてしまいます。

数値を示さないのであれば、このように表現してみてはどうでしょうか。

 

 

改善文

朝目覚めたとき、今までにない気怠さを感じた。

重い足取りで体温計を見つけだし、それを脇にはさんだ。

やはり、熱があった。

 

一言、「やはり、熱があった」と伝えることで、文章に雰囲気が出ました。

 

この「雰囲気」はどこから来ているのかというと、余韻です。

あえて説明せず、余韻を残すことで、読み手の想像力を引き立てる文章になったのです。

 

高熱が出て辛い状態を伝える上では、やみくもに修飾すれば良いというわけではありません。

「気怠さ」や「重い足取り」といったキーワードがその役割を果たしてくれるでしょう。

 

 

こうした余韻を伝えるには、過度な修飾を省くことが先決です。

冒頭にあった「説明のしすぎ」とは、まさにこのことです。

 

書き手は、定量化できない物事を表現しなければならないことが多々あります。

 

感覚や感情はまさにその代表格で、数字として表すことができません。

これらを表現する場合は、余韻を残すことで含みをもたせたほうが伝わります。

選択肢の一つとして備えておきましょう。

 

コラム

Posted by 赤鬼