「作者=主人公」に注意
主人公を「自分の分身」として扱ってはいないでしょうか。
一人称視点の作品では、とくに「作者=主人公」として描かれやすい土台がそろっています。
誤解を防ぐために断っておきますが、小説の在り方は多種多様であるべきです。
「作者の分身が主人公として描かれている作品を書いてはいけない」などと、主張するつもりはありません。
わかりやすい例として、私小説では「作者=主人公」として見なされます。
私小説には私小説の魅力があるのは事実で、このようなアプローチで書くことを否定しているわけではありません。
しかし「作者=主人公」として描かれた作品は、完全な一方通行な作品になってしまう恐れがあります。
書き手と主人公の距離が「ゼロ」になっているということは、見方によっては「作者のためのお話」でしかありません。
読み手は、そのような作品に対してどう向き合えばいいのか、わからなくなってしまいます。
内容に描かれている物事が、読み手の共感を得ることはあるでしょう。
読んだ人の人生を変えるような、大きな感銘を与えることだってあるかもしれません。
ただし、自分の考えや経験を並べたところで、読み手の心をつかむ作品になる保証はどこにもないのです。
だからこそ書き手は、可能性を広げるべくさまざまな工夫を凝らします。
作品に幅や奥行きをもたせたり、不確定な要素を取り除いたり、頭を悩ませながら執筆するのです。
書き手と主人公との距離が近い小説は、その工夫を凝らす余地が極端に少ないのが問題ですね。
作者である書き手本人が主人公として描かれているのですから、内容には偏りが生じるでしょう。
趣味、嗜好、経験、思想など、書き手の内面以上のものが出てこないのです。
それを防ぐためにも、主人公を含め、登場人物を俯瞰するということが重要です。
たとえ「作者=主人公」であったとしても、書き手本人が冷静さを欠いてはいけません。
つまり、一歩だけ身を引いて、彼らの様子を観察することが解決の糸口になるのです。
書きやすいものだけに取り組む姿勢は、あまりよろしくないと考えたほうが無難です。
いわゆる「ネタ切れ」にもなりやすく、これからの創作活動に支障をきたす可能性があります。
書き手としての在り方を忘れずに、登場人物と向き合いましょう。
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