社会にはびこる「上位概念」に注意する

2019年1月26日

 

従来の「いじめ」は、当事者間で扱っていたトラブルでした。

当事者である個人同士で話し合い、お互いが納得できるポイントを見つけることが基本です。

しかしテレビでは、「いじめ」に関するニュースを報道するとき、社会問題として扱われていることが多いのです。

 

この場合の「いじめ」とは、社会にはびこる「あいまいな事象」をわかりやすく類型化したものでしかありません。

つまり、抽象的な事象をあえて言語化した、上位概念なのです。

 

上位概念は、学者や報道関係者、もちろん物書きにとっても必要な存在です。

ただし、その是非はともかくとして、大きな欠点があることも事実です。

物事の具体的な内容がぼやけてしまうのです。

 

いじめが起きた経緯やその詳細、加害者・被害者の人格までもが、抽象的に扱われます。

小説で描くべきは、このようなディティールです。

 

 

例文

A. 中学生のころ、いじめを受けていた。

B. 自分の悪口が彫られた机で中学生活のほとんどを過ごした。

 

たった一文でも、AとBでは大きな差があります。

安易に「いじめ」というキーワードを使っただけのAに比べ、Bは淀んだ中学生活を垣間見ることができます。

限られた文字数で勝負するのなら、Bのほうが圧倒的に有利ですね。

 

これは、いじめだけでなく「セクハラ」「パワハラ」などの「ハラスメント」も同様ですね。

「年金問題」などの制度の構造に関することも含めて、社会問題全般にいえることです。

 

もちろん、細かなことに目を向けるなら、私たちの日常にも似たような例はたくさんあります。

「× 車がパンクした」 ⇒ 「○ 車のタイヤがパンクした」

身近な物事の上位概念と下位概念の関係も、無視してはいけません。

 

 

執筆にとって、上位概念の扱いはとてもデリケートなのです。

その詳細に「凄み」があるはずなのに、ひとくくりにしてしまうのはもったいないですね。

 

上位概念を扱ってはいけない、とはいいません。

しかし、小説で描くべきはその中身、ディティールの部分です。

書き手は、この感性を大事にしながら言葉を選び、執筆しましょう。

 

創作

Posted by 赤鬼