「描き方」で印象を変える
小説では、「クセのある人物」を登場させることがあります。
なにかしらの「欠点」をもっている人だったり、社会的には「クズ」と呼ばれるような人だったり。
現実の世界では煙たがられるような人物が、物語の主人公として活躍することもめずらしくありません。
しかしどういうわけか、その人物はいつしか愛されるキャラクターになっています。
もちろん、すべて例外なく、とまではいいません。
「読み始める前」と「読み終えた後」では、読み手に与える印象がポジティブなものに変わっている場合が多いのです。
「クセのある人物」⇒「愛されるキャラクター」
この変化のプロセスには、どのような秘密があるのでしょうか。
結論からいえば、これは書き手の「描き方」でガラリと変わります。
とはいえ、「コツ」や「裏技」があるわけではありません。
書き手がどの方向に舵を切るかによって、読み手に与える印象はじわじわと定まっていくのです。
たとえば「極悪人」を主人公に設定したとしましょう。
書き手の描き方によって、その極悪人を「良い人」として描くことも可能です。
犯罪にいたるまでのプロセスを詳細に描き、極悪人がもつ正当性を示したり。
人間味を感じさせるエピソードを随所に盛り込み、強い共感をもたらしたり。
アプローチの角度はさまざまですが、読み手から「一定の理解」を得ることができれば、与える印象は変わってくるでしょう。
社会的には極悪人であったとしても、読み手にとってはとても身近な存在になるのです。
このような「印象付け」は、構造そのものの作り方から、細部の文言にまで浸透していなければなりません。
書き手が定めたのは「おおまかな方向」であっても、読み手は「目にした文章の隅々」から人物像を規定していきます。
したがって、印象付けはとてもデリケートな作業なのです。
もちろん、小説には運動性があるため、書き手の思惑どおりに進まないこともあるでしょう。
それはどこかで別の筋に入ったのか、そもそも無理が生じる構造だったのかもしれません。
場合によっては、当初の予定を変更せざるを得ない状況も十分にあり得ることを忘れてはいけません。
ただし、舵を切っているのはほかの誰でもなく、書き手自身です。
特定の方向へと進んでいくように舵を切ったのなら、必ず「偏った力」が加わっているはずです。
その力加減さえ間違わなければ、進んでいく方角を読み手は感じとってくれます。
最初のうちは”習作”として執筆するときに、挑戦してみるのも良いですね。
練習のつもりで、描き方を工夫しながら印象を操作してみましょう。
■ 参考
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