扱う主観を区別する
今回は、主観の扱い方について考えましょう。
小説を執筆するにあたって、区別しなければならない主観は2つあります。
ひとつは、書き手の主観です。
これは、書き手個人の性格や、物事のとらえ方のことです。
「書き手としての主観」というよりも、「ひとりの人として主観」といったほうが正しいかもしれません。
コップ半分の水を「まだ半分も入っている」と感じる人もいれば、「もう半分しか残っていない」と感じる人もいます。
こうした主観はすべての基盤となり、文章に大きな影響を及ぼします。
もうひとつは、登場人物の主観です。
書き手自身は、コップ半分の水を「まだ半分も入っている」と感じるけれど、作中に描く登場人物は「もう半分しか残っていない」と感じる。
これは、書き手が登場人物との距離を保っているからこそ、扱うことができる主観です。
つまり、書き手は物語を俯瞰しながら、登場人物を慎重しているのです。
個人の主義・主張を横におき、物語の世界を描くことに集中しているわけですね。
言うまでもなく、小説の執筆では登場人物の主観に重きをおくべきです。
実際、書き手の主観を押し出した小説は存在しているため、必ずしも「悪」ではありません。
しかし、書き手の主観を押し出すことが許される作品、ひいてはそのような作品を書くことが認められる書き手は限られています。
たとえば、書き手が強烈な個性をもっていて、読み手がそこに魅力を感じる場合です。
「その部分で勝負したい」という気持ちは否定しませんが、あえて小説でやる必要性はありません。
強烈な個性は、エッセイやコラム、ブログの記事であっても、表現できるはずです。
小説の書き手であれば、扱うべき「主観」を見つめなおすべきです。
登場人物との距離をとりながら上手くコントロールすることは、決してかんたんではありません。
しかし、これが書き手に求められる能力であることは明白です。
執筆するときには、書き手の主観と登場人物の主観を使い分けられているかを意識しましょう。
■ 参考
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