「葛藤」について
小説に盛り込むべき「葛藤」について考えます。
「小説を小説たらしめるもの」は、それほど多くありません。
なかでも「葛藤」は、その代表格といって差し支えない概念です。
不思議なことに、広く世に出ている作品には大きな葛藤が含まれていることが多いのです。
むしろ、小説において「葛藤のない作品」は珍しいのではないでしょうか。
データをとったわけではないので、話半分で捉えていただいてかまいません。
それでもやはり、葛藤が「小説を小説たらしめるもの」であることはほぼ確実だと考えています。
これを小説に盛り込む前に、葛藤の意味について知っておく必要があります。
葛藤には、大きく分けて2つの意味があります。
① 相反する感情が同時に存在するとき、どれをとるか迷うこと
② 対立する事柄が、譲らないまま争うこと
これを私たちの日常生活にある状況に当てはめてみます。
例として、次のように分けてみました。
① 相反する感情が同時に存在するとき、どれをとるか迷うこと
⇒ 痩せるためにダイエットしているのに、甘いものが無性に食べたい
⇒ すぐにでも風呂に入りたいのに、今放送されているテレビ番組を観ていたい
② 対立する事柄が、譲らないまま争うこと
⇒ 会社に行かなければならないけれど、行きたくない
⇒ あの人に「好き」と伝えたいけれど、今の関係が崩れるのが怖い
どちらも自分の内面に起こることであり、大まかな意味での違いはありません。
ただし、葛藤する原因が内側にあるか外側にあるかで考えると、決定的に違っていることがわかります。
①の場合は、原因が内側にあります。
対立構造が生じているのは自分の内部であるため、自分自身に選択する余地があります。
②の場合は、原因が外側にあります。
こちらは、自分以外のなにかと対立します。
外的な要因に対して迷ったり、悩んだり、争ったりするわけです。
このふたつを混同して扱うと、葛藤の描き方がブレてしまう恐れがあります。
葛藤する原因は外側にもあるのに、自分だけが延々と考えていたり。
自分で解決できるはずの葛藤を、外側にばかり向けていたり。
そこに生じた「ねじれ」を利用するのもひとつの手ですが、これには緻密な計算が必要となり、難易度は一気にはね上がるでしょう。
もしも上手く扱えなかったとすれば、小説のおもしろみを失うことにも繋がりかねません。
「葛藤」を扱う前に、書き手がこの概念を理解することは重要です。
むやみに葛藤を盛り込むのではなく、微妙な違いを意識した上で扱いましょう。
■ 参考
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