造形を彫刻する
小説は “自由” ですから、その描き方において「絶対的な正しさ」は存在しません。
ただし、ある程度の心がまえやセオリーは存在します。
今回は、風景を描写するときによく言われている考え方について、その一例をご紹介します。
風景の描写は、彫刻するイメージで行うことが大切です。
これについて具体的に考えていきましょう。
私たちが描く風景は、三次元にある空間です。
これを文章で伝えるのは大変なことですから、さまざまなテクニックや工夫を凝らしながら描写するわけです。
ここで問題視すべきは、絵画を説明しようとすることです。
本来は三次元の様子を立体的に伝えたいはずなのに、どういうわけか二次元の平面を描写してしまうのです。
この場合、次のようなプロセスで描写が行われることになります。
● 三次元にある風景
↓書き手の脳内で変換↓
● 二次元の絵画
↓執筆によって変換↓
● 文章
実際の執筆では、三次元の風景を飛ばしているわけです。
これでは、せっかくのテクニックや工夫は表面上のものにしかならず、あまり意味がないものになってしまいます。
さらにいえば、書き手と読み手ではその立場が違う上に、そもそも別の人格です。
両者の間には、共通理解にいたるまでの距離があると考えるのが自然です。
書き手は「躍動感あふれる色彩豊かな絵画」を描いたつもりでも、それは絵画を模した平面的なものでしかありません。
良くても、読み手には下書き程度にしか伝わらないでしょう。
二次元に変換された絵画を文章化していても、読み手との距離を縮めることはできません。
だからこそ、描写にいたるまでのプロセスを見直す必要があるのです。
● 三次元にある風景
↓執筆によって変換↓
● 文章
文章化すべき風景は、絵画の様相ではありません。
リアルな風景を彫刻するように描写することで、ようやく読み手に伝えることができるのです。
このように考えれば、描写の内容も変わってくるはずです。
現場まで足を運ぶ必要性も感じるでしょうし、場合によっては頭に浮かんだ風景そのものが違って見えることもあるでしょう。
表面上の工夫やテクニックが不要とまではいいません。
しかし、描写にいたるまでのプロセスが適切でなければ、効果は見込めないのです。
絵画には絵画の良さがありますが、風景の描写において参考にするのは悪手です。
造形を綿密に彫刻するイメージで、読み手に伝わるように描写していきましょう。
■ 参考
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