「手記」と「小説」の違い
「手記と小説は、どう違うのか」
小説を書きはじめたときに浮かぶ疑問のひとつですね。
たしかに「一人称で書かれた私小説」を読むときは、手記との区別がつきづらいものです。
読み手の立場からすれば、疑問に思うのも無理はないでしょう。
しかし、両者には明確に違っている点があります。
かんたんにいえば、書き手が「読み手のことを考えているかどうか」です。
料理になぞらえるなら、「自分好みの味付けをする」か「食べてくれる人のことを考えながら味付けをするか」の違いですね。
自分が「おいしい」と思う料理を作りたいのなら、手記を書けばいい。
誰かに「おいしい」と思ってもらいたいのであれば、小説を書くべきです。
この違いを理解していれば、執筆に対する姿勢はもちろん、その文章も変わってくるはずです。
実際の執筆を想定しながら、具体的に考えていきましょう。
手記は、書き手が感じたものをそのまま表現することができます。
例
きれいな花を見た。
花を「きれい」と感じたのであれば、その気持ちを素直に文章へと落とし込みます。
このように、書くべきと思ったことをありのまま表現できるのが手記です。
小説を書くときは、読み手にどのように感じさせるかを目指すべきです。
例
赤い花を見た。
その花を「きれい」と感じるのは、書き手ではなく、読み手なのです。
書きたいことを直接書くことができないと考えれば、小説には「制約」があるともいえます。
しかし読み手の立場からすれば、手記として書かれた「きれい」は、単なる情報や記号、データでしかありません。
小説として書かれた文章から浮かび上がった「きれい」には、間接的な実感があり、読み手の心が大きく動かします。
手記の魅力を否定するつもりはありませんが、単純な言葉で与えられた「きれい」と、文章の連なりから感じられる「きれい」には雲泥の差があるのです。
書き手の立場にいるのであれば、「手記」と「小説」には根本的な違いがあることを理解できるはずです。
これをあいまいにすることなく、執筆していきましょう。
■ 参考
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