正解がない表現に対して果敢にチャレンジする
世の中にある「言葉にしづらい物事」を、「伝わる言葉」にして読み手に届ける。
これは書き手に与えられた大きな仕事のひとつですね。
たとえば、「風景」を描写するとしましょう。
ただ書くのであれば、どのような風景であっても表現することはできます。
例
● 広い海が見える
● 高い山が見える
● 綺麗な川が見える
一般的な「風景の描写」と考えれば、これらが物足りないことは明らかです。
読み手に伝えたいと思う「海」「山」「川」の様子があったのなら、「より純度の高い表現」がきっとあるでしょう。
しかし、書き手が本気になって描写した結果であれば、誰も文句はいえません。
表現そのものに伸びしろはあっても、そこに絶対的な正解はないのですから。
書き手自身、上記のような描写がベストだと感じたのなら、それは書かれて然るべき表現だといえます。
つまり、言葉の表現はいくらでもサボることができるのです。
ここで問われるのが、「書き手としての在り方」です。
書き手は、表現に対して果敢にチャレンジしていくべきです。
実際のところ、書き手にとってこれは非常に苦しいことです。
「正解がない」という意味では、なにも風景に限ったことではなく、すべての表現にいえることですね。
「海」「山」「川」を見て、どの部分を取りあげて、どのように表現するか。
元から正解はないはずなのに「なにが正解か」を考えながら書くのですから、逃げ出したくなるのも無理はありません。
あえてポイントを取り上げるなら、「物事に目を向けるときの視点」と「表現するときのボキャブラリー」が重要です。
もちろん、語法や文法の知識や、比喩や暗喩と絡める発想力も問われるでしょう。
基本的なところでは、インプットとアウトプットを充実させる必要もあります。
文章の質を向上させたいのであれば、書き手としての総合的な力が必要とされます。
何かひとつ学ぶことで、すぐに改善できるわけではありません。
苦しい道になることをわかっていながらも、そこから逃げることなく立ち向かうことで、その力が養われていくのです。
書き手の仕事は、このような鍛錬の連続です。
いくらでもサボれるところではありますが、表現の純度を上げていくには絶対に避けられない道です。
最初は小さなチャレンジだったとしても、日々積み重ねていくことで、努力はかならず文章に反映されます。
いつしか、書き手としての強大な武器を手に入れられるでしょう。
■ 参考
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