「会話をする登場人物」を考える
小説のなかに用いる会話文について考えます。
今回は書き方というよりも、「会話をする登場人物」に着目します。
まずは、登場人物が会話するときの様子を書き手の目線で考えてみましょう。
例
友人 :「その時計、いつ買ったの?」
主人公:「つい最近だよ。安モンだけど気に入ってるんだ」
友人 :「たしかに安そうだね」
主人公は、その価格に関係なく、自分が気に入った時計をつけているようですね。
友人は、主人公がつけている時計を気にしつつも、それを「安そう」だと言い放ちました。
ほんの3行程度の会話文だったとしても、ここからそれぞれの「人となり」が見えてくるはずです。
つまり、会話文の内容から「この場合に、そのセリフを、あんなふうに言う人間である」ことが決まるわけですね。
このように、会話文を用いることで、少なからず発言者の人格は規定されます。
したがって、会話文を用いるときは「その人らしいセリフ」を心がけなければならないのです。
上記の例をもって考えると、「主人公=良いヤツ」「友人=嫌なヤツ」と描くのであれば、的外れではないでしょう。
しかし、「主人公=嫌なヤツ」「友人=良いヤツ」とするならば失敗しているといえます。
かんたんにいえば、「登場人物の人格を尊重する」の一言につきますね。
それぞれを「生きた人格」と認めた上で描いていけば、その人らしさは自然と出てくるでしょう。
具体的に注意すべき点は、登場人物を書き手のあやつり人形にしないことです。
物語の都合から、「情報開示」する目的で会話文を描いたとしましょう。
それは、もはや登場人物のセリフではなく、「書き手が言わせたいこと」でしかないのです。
当然ながら、その人らしい会話になるはずがありません。
「会話をする登場人物」を考えながら描くのであれば、こんなことは起こり得ないのです。
「話し言葉」と「書き言葉」は、ただでさえその質が異なります。
誤解を恐れずにいえば、小説に会話文を用いるということは、異物を混入させることにも等しいのです。
だからこそ書き手は、できる限り自然な会話文を目指すべきなのです。
登場人物に対する配慮を忘れずに、会話文を描いていきましょう。
■ 参考
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