厳しい読み手を設定する【書くと読む】【否定と肯定】
不思議なことに、文章を書くときはさまざまな自分が重なって存在しています。
そのなかでも今回は「厳しい読み手」に焦点をあててみましょう。
厳しい読み手の存在は、文章の出来栄えはもちろん、書き方そのものに影響を与えます。
詳しくみていきましょう。
「書く」と「読む」を同時に行う
まずは執筆するときの書き手がどのような状態にあるかを考えてみましょう。
かんたんにいえば、執筆中は「書く」と「読む」を同時に行っていることになります。
自分が書いた文章を最初に読むのは自分ですから、「書き手の自分」と「読み手の自分」を瞬時に切りかえているわけですね。
もちろん実際の執筆では感覚の違いやその境目はあいまいで、両者の視点はほとんど重なっているともいえます。
このとき「読み手の自分」は、できる限り厳しく設定するようにしましょう。
普段から甘い読み方をしていると、書き方まで甘くなってしまいます。
書き終えたあとで修正するのなら救いはありますが、できれば書いている段階で「仕上げ」に近いものを表現できることがベターです。
厳しい読み手を設定することで、自分の書いた文章はビシっと締まってくるでしょう。
「肯定」と「否定」を同時に行う
前項の内容をもっと掘り下げてみます。
文章をより良くするためには「推敲」が必要ですね。
文の正誤を判断したり、構成の見直したりする上では欠かせない確認作業のひとつです。
「書き手の自分」と「読み手の自分」が共存している状態は、一次的な推敲を可能にします。
執筆では、書いたそばから書き直しをする場合がありますね。
「書き手の自分」が肯定したものを、「読み手の自分」が即座に否定する。
このプロセスがくり返されることで、精度の高い文章は紡がれていくのです。
自分のなかにある「厳しい読み手」を成長させ、切磋琢磨させましょう。
厳しさは自分のために
普段から「書き手×読み手」の感覚を頻繁に切りかえながら書くことで、批評的な視点が養われていきます。
ある意味では自分の文章ですらストイックに客観視するわけですから、他人が書いた文章を読むとなれば当然「単なる読み手」ではいられないはずです。
自分のスタイルと比較しながら「自分だったらこうする」と考えたり、相対的に「自分らしい書き方」に気付いたりする場合もあるでしょう。
書き手自身のなかに「厳しい読み手」が存在しているからこそ、批評的な視点をもった読み方を実現できるのです。
ただし、だからといって別の書き手を攻撃していいわけではありません。
ネット上ではとくに批評ではなく批判の道具として、その厳しさを活用している人たちが多いようです。
本来、厳しい読み手は自分が良い文章を書くために設定したものであり、他人を攻撃するために使うべきではありません。
文章の出来栄えや自分の筆力が向上するように、厳しい読み手を設定しましょう。
■ 参考
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません