「感情」を文章で表現する
小説として書く内容には、「言葉にできないこと」を多く含みます。
今回は、このようなあいまいな物事の表現について考えます。
まずは、「言葉にできないこと」とは一体何なのでしょう。
一言でまとめれば、感情です。
目の前にある現実や事実は、そのまま書き落とせば伝わるでしょう。
しかし、人間の感情となると話は変わってきます。
例
僕は、とても不安になった。
当然ながら、文の意味は伝わりますね。
しかし、あまりにもシンプルすぎて、迫力に欠ける気はしないでしょうか。
とくに小説を読む場合、「感情をどのように表現しているか」でその評価が変わることもあります。
そう考えると、読み手は、感情の表現で書き手の力量を試しているともいえるでしょう。
たとえば、このように表現するのはどうでしょう。
例
僕は、叫びたくなるほど不安になった。
あくまで、一例ではあります。
しかし、「叫びたくなるほど」という文言があることで、不安に思うその感情が具体化しました。
「とても」で済まされていた原文に比べれば、ずっと実感が沸く表現ですね。
このように、書き手は感情の表現に対して積極的にチャレンジしなければなりません。
幸か不幸か、便利な表現もいくつかあります。
例
● 絵にも描けないほどに美しい景色だ。
● 名状しがたい気分になった。
● 筆舌に尽くしがたい状況だった。
青字で示した表現は、まさに「言葉にならない感情」を表す言葉です。
これらを使えば、書き手は楽に執筆することができるでしょう。
しかし上記に挙げた表現はもはや「慣用句」でしかなく、手垢のついた表現です。
使ってはいけない表現、とまではいいませんが、小説を書く場合にはあまり推奨できません。
とくに「筆舌に尽くしがたい」は、書き手としての責任を放棄するような書き方でもあります。
表現することから逃げるのであれば、書かないほうが賢明でしょう。
執筆は、あいまいなものを可視化する手段のひとつです。
人間の「感情」のように言語化しづらい物事の表現は、書き手にとってのチャンスなのです。
この機会を逃してしまう状況は、書き手としての失態といえます。
尻込みすることなく、積極的にチャレンジしましょう。
■ 参考
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