「他者」を軽視しない
書き手が「主人公の描き方」に注力するのは当然でしょう。
小説では「主人公=書き手の分身」として描くことが多く、このやり方であればリアルな人物像を描くことができます。
しかし、「主人公以外の登場人物」の描き方となれば、どうでしょうか。
ここでは「他者」として扱うことにしますが、他者については疎かになりがちです。
ありがちなケースは、次のような配役です。
「主人公=書き手の分身」
「他者=主人公の添え物」
他者を単なる添え物のように配役してしまうと、書き手にとって都合の良い登場人物を量産することにつながります。
たとえば、主人公の主義が「終わりよければすべて良し」だったとしましょう。
ストレートに描くのは芸がないと考えた書き手が、「結果だけでなく過程も大事」という主義をもった他者を登場させるとします。
対比構造にもっていくこと自体に問題はありませんが、この他者を「反対するため」だけに登場させるのは非常にもったいないことをしているといえます。
いわば「”書き手の分身” をさらに分身させた」だけであり、そこに具体的な人間関係など一切ないからです。
これでは “本質的”に小説を描くことはできません。
前提として覚えておきたいのは、登場人物が「独立した人格」をもっていることです。
物語の主役であっても、脇役であっても、このことに変わりはありません。
前述した例でいえば、「反対するため」だけに存在する他者は、物語に対してそれ以上の効果が期待できなくなります。
せいぜい、多少の議論から主人公に葛藤が生まれる程度で、結局は使い捨てのキャラクターでしかないのです。
このように人格を消費してしまうのは、登場人物に対して失礼ですね。
魅力的な他者を描くに越したことはないのですが、当然ながら「どちらに優劣をつけるべきか」という話ではありません。
書き手は、それぞれの人物像が絡みあったときにもたらされるものにフォーカスするのです。
他者を描くとき、モデルとなる人物がいたり、人物像を綿密に設定したりするとしても、「主人公に対してどのように絡めるか」を決めるのは書き手です。
そこに生じた人間関係によって、物語の展開はもちろん、心境の変化や感情の揺らぎなど、多くのものを描くことができるのです。
あれこれ言わずとも、主人公の描き方には注力するでしょう。
しかし他者の描き方については、書き手が意識しなければおざなりになってしまいます。
書き手が命を吹き込むのは、主人公だけではないはずですね。
主人公からみれば単なる「他者」であっても、描くときには「ひとりの人間」として扱いましょう。
■ 参考
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